与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。《ルカの福音書 六・38》
時代は今ますます、人々が自己中心に生きるようになっています。隣人の弱点を見つけ出し、それを周りの人にさらけ出して、その人を落とし込めようとします。自分が、人よりも有利になるためです。あるいは、自分の都合がよく、自分が得をすることなら、周りの人が傷ついたり、迷惑を被ったり、損をしたりしても、平気で自分のやりたいことを行っています。自分の「要求」だけが、どんどんふくれあがり、隣人に対する「配慮」は全く消え去っています。社会は今、急速に非人格化しています。なぜでしょうか。
自分が得ることは上手になりましたが、与えることには無関心で、下手です。誰もが、人よりも多く持ち、人よりも多くのことを知っていることが、成功の道だと信じ込んでいるからです。けれども、聖書はそうは言っていません。「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。《ルカ 六・31》」 「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。《同 六・38》」 「自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。《マタイ 十・39》」
聖書には、このように自分をへりくだらせ、隣人のために自分を主にささげ、また隣人のためにも自らをささげる人が、成功する人だと書かれています。ですから、家庭が幸福になるためには、家族がお互いに「自分を愛してください」と要求するのではなく、まず自分から愛を与えなければならないのです。天のお父さまは、私たちを救うため、独り子イエス・キリストを与えてくださいました(ヨハネ 三・16)。もしあなたが与えれば、豊かに実を結びます。
夫は妻を自分の所有物として見るのではなく、妻に対して愛をもって細やかに気を使わなければなりません。妻も夫に対して「愛してください」と要求するのではなく、まず自分が愛さなければなりません。
キリストにつく者は、隣人が成功することを願い、そのために助けの手を差し伸べることができる者です。互いの成功を願い、皆が働いていけば、世界はどんなに美しくなることでしょう。けれども、もし隣人が成功することより、自分が成功することだけを願って、行動するなら、そこには分裂と対立、憎しみと破壊が溢れてしまいます。
では、具体的に、私たちは何をすればよいのでしようか? 隣人が因っているとき、優しいことばをかけ、祈り、そして助けの手を差し伸べることです。この3点です。困っている人に良いことをしてあげる勇気を失ってはいけません。そして、その人のために祈り続けましょう。更には、助けの手を差し伸べましょう。そうすれば、必ず、ひからびた草が水を得て生気を取り戻すように、私たちの家庭や学校や社会は、主のいのちで生き返るのです。
お祈り:私たちと共にいてくださる天のお父さま、感謝します。主よ、きょうのみことばをありがとうございます。隣人に対する無関心を捨てて、どうか、みことばの通りに、イエスさまの子らしく、隣人が成功するために生活することができますよう、聖霊さま、祝福してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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