10月17日 閉ざされた門、開かれた門

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。《ヨハネの福音書 十・9》

私たちがこの地上を歩むとき、人生の節目節目には、必ず「門」と思えるような出来事に出くわすことがあります。そして、私たちが選び取った道を進んでいくと、その「門」が大きく開かれ、進む道も広く見渡せるようなとき、私たちは喜びの歌を歌います。けれども、その「門」が閉ざされると、私たちは途方にくれ、深く悩みます。

或る女性から、相談の電話がかかってきました。「今、私たち家族は一家心中をしようと、サイダーに毒を入れたところです。私のような女は、地獄に行っても仕方ありません。けれども、何にも知らない子どもたちには、何の罪もありません。余りにもかわいそうなので、牧師先生、どうぞ子どもたちだけでも、天の御国に行けるよう祈ってください。」 牧師は言いました。「ちょっと待ってください。たとえすべての門が閉ざされているように思えても、天の父なる神さまの門は、いつも開かれています。私たちの主は、一つの門を閉ざす時、必ず別の門を開けておいてくださるお方です。思いを入れ替えて、開かれている門を、主と共に見つけましょう。」 そう言って祈ると、電話の向こうで、泣きながら悔い改める声がしました。彼女は、「もう一度やり直してみます」と言い、主と共に生活し始めたのです。

私たちの望んでいる通りの門が開かれるのではありません。目の前の門が固く閉ざされ、足元がぐらつくような、いのちさえも危うくなったと思えるような絶望の前で、身もだえする時があるでしょう。けれども、そんな時こそ、イエスさまが私たちの門となられるのです。この門を通って入れば、義と平和と喜びがあり、いのちを豊かに得ることができるのです。

アメリカ人の有名な画家ホイッスラー:JAM Whistlerは、元々、陸軍仕官学校の生徒でした。彼は、命令伝達の授業で落第し、退学させられてしまいました。彼の門は、この時、本当に閉じられてしまったかに見えました。そして祈った結果、彼は絵を描くことにし、今ではヨーロッパをはじめ、世界中で名の知れた画家となったのです。

ヒゼキヤは死の病にかかり、彼の門は閉じられたかに見えましたが、「顔を壁に向け、【主】に祈った《Ⅱ列王記二十・2》」ので、【主】はヒゼキヤの祈りを聞かれ、彼をいやしてくださいました。

このように、絶望の壁にぶつかった時、自分の意志を砕き、主が救ってくださることを待ち望む人に、主は別の門を開き、待っていてくださるのです。「【主】はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる《詩篇百二十一・8》」のです。

お祈り:祝福の源であられる天のお父さま、感謝します。多くの人が、人生の絶望の壁を前にして、希望を失い、嘆き、悲しみます。どうかこのような時こそ、私たちの救い主なるイエスさまを信頼して、イエスさまのなさることを待ち望むことができますよう、聖霊さま、助けてください。イエスさまは私たちのいのちの門です。イエスさまを通してすべての必要が満たされる毎日の生活を送ることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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