ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。《テモテへの手紙 第二 二・21》
人の心は、不思議です。キリストに似た心にもなる可能性がありますが、一方では悪魔の奴隷となり、破壊的で、下品な心にもなります。今の時代、恐ろしいことですが、自分から悪魔の奴隷となるような人が多くいます。悪魔の奴隷となっている人とは、どのような人たちでしょうか。
第一に、いろいろな物を沢山持つことに、夢中になっている人たちです。そういう人は、自分が物の奴隷となっていることに気がついていません。その人たちの生活を見ていると、物を所有している管理者・主人ではなく、物にあやつられ、物欲の奴隷となっています。このような人は、自分が持っている物を自慢します。そして、他の色々なものを見てはまた欲しくなり、何をしてでも手に入れようとし、実際に手に入れているのです。
悪魔の奴隷となっている人の特徴は第二に、ある思想や、ある人が主張している考えに染まっている人たちです。そういう人は、人の命を道具のようにして使います。人の生活を利用します。その人たちの人生は、本当に悲しい出来事で幕を閉じるようなことになります。彼らは、聖書の神を絶対に認めようとしません。人間が一番すばらしい、人間には最高の価値がある、人間にかなう者はいないと考え、行動しているのです。人間中心主義です。
悪魔の奴隷となっている人の特徴の第三は、人の上に立ちたがる権力者になることに夢中になっている人たちです。つまり、権力の奴隷です。世界の歴史は、このような人たちによって作られて来ました。ある意味では、権力の奴隷となった人の記録が歴史でしょう。
そして最も悲惨な奴隷は、罪の奴隷です。悪魔と悪霊どもは、罪を通して、人を自分たちの奴隷にしています。悪魔は、罪を犯している人を、盗み、殺し、滅ぼします。最も不幸で悲しい存在は、悪魔を自分の主人として仕えている人たちです。悪魔と罪に抵抗することもできずに、悪魔の操るままに生きて行く人たちは、本当に不幸な人たちです。その人は「滅びうせる獣《詩篇49:12》」のように生活し、永遠の滅びへと向かっています。
人は何に仕えるかによって、何を自分の主人にするのかによって、人格が造られます。悪魔と罪、権力とお金、欲望と人間中心主義を主人とし、それに仕える人は、一生涯、そのものの奴隷となって生活し、最後は永遠の滅びを自分自身に招くのです。
ですから、私たちは、救い主イエス・キリストを私たちの主人として仕え、神さま中心の生活を送りましょう。イエス・キリストを自分自身の主人とし、私の家庭の主人として仕える時、神さまの子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。このような人が、神さまに用いられる人となるのです。人が作り出した制度や教育によって、人を悪魔の奴裁から解放することはできません。本当の自由は、キリストの中にだけあり、キリストだけが人を解放することができるのです。
お祈り:私たちの道であり、真理であり、いのちであるイエスさま、私たちを罪の奴隷から解放してくださってありがとうございます。もう二度と、罪の奴隷とならないようにお守りください。イエスさまだけを主人として仕えることができますよう、聖霊さま、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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