10月22日 自分自身を受け入れましょう

あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。《マタイの福音書 二十二・39》

私たちは、いつも周囲の人と自分を比べています。人と人を比べて、良い人を残すというのが社会の仕組みになっています。ですから、人々は劣等感で一杯になり、自信を失い、そして自分自身さえも見失ってしまうのです。そのような人は、自分を赦すことができません。間違った自分の姿を受け入れて、自分の本当の姿を受け入れることができません。劣等感を持っている人は、間違った自分を少しでも良くしようと、良い服を着て、立派な家に住み、地位や名誉や権力を持とうとし、実際に得ます。けれども幸せになれません。(劣等感の裏返しである優越感に浸っている人も、同じです。)では、どうすれば、自分の本当の姿を受け入れることができるのでしょうか。

第一に、天のお父さまの愛を受け取りましょう。そして、私もお父さまを愛するのです。そのためには、イエス・キリストを自分の創り主、救い主だと信頼し、心に受け入れ、新しく生まれ変わる必要があります。イエスさまは、人を神と和解させるため、十字架で死なれました。誰でも神と和解するためには、イエスさまの罪の赦し、罪からの解放の恵みを受け取る必要があります。イエス・キリストを信頼する人は、キリストの中に置かれます。天のお父さまは、キリストの中にいる人を赦してくださいます。受け入れてくださいます。そして神の子どもにしてくださいます。これが本当の自分の姿です。

第二に、人が神に出会って、神の愛を受け取ることができるようになると、初めて自分自身を受け入れることができるようになります。それでも、自分の過去の失敗や、今まで不幸だったことをつぶやく人が沢山います。失敗や不幸の原因を、周りの人のせいにしています。友だちのせいにし、兄弟のせいにし、両親のせいにしています。そして、自分自身を憎んでいます。けれども、キリストの愛によって新しく造られた者になると、自分をそのまま受け入れることができるようになるのです。また、敵と思っていたような人をも、愛することができるようになるのです。

第三に、本当に自分自身を受け入れることができる人が、隣人を受け入れ、愛することができるのです。自分を憎み、恨んでいる人は、決して隣人を愛することはできません。人を愛するためには、その人を理解することです。その人のありのままを受け入れる必要があります。神の愛を受け取ることができる人は、自分をありのまま受け入れることができ、隣人をありのまま受け入れることができます。主によって癒された人は、幸福な家庭を築き、幸福な社会人となり、勝利の生活を送ることができるのです。イエスさまの福音は、人生を変えます。罪ある人を、神に受け入れられる人に変えます。愚かな人を、主の知恵に満ちた人に変えます。くじけそうになった人を、強く、雄々しい人に変えます。病気の人を、健康に変えます。呪いを受けているかのような人を、祝福された人に変えます。神の裁きを受けて当然の人を、永遠のいのちを持つ人に変えるのです。これが福音です。この福音を体験した人は、天のお父さまの愛によって、隣人を愛する人に変えられるのです。

最後に、天のお父さまは、私を正当に評価してくださっていることを信頼することです。ある時、弟子たちは「この中で誰が一番偉いか」と議論し合っていました。イエスさまは「一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ、彼らに言われた。『だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、非常に偉大なのです。』《ルカ 九・47~48》」神の国では、他者との比較などないのです。一人ひとりが尊いのです。

お祈り:愛の天のお父さま、感謝します。愛のゆえに宇宙を造り、「生めよ。増えよ。地を満たせ。地を従えよ」と祝福してくださり、ありがとうございます。しかし、人は神に逆らい、エデンの園から追い出されました。毎日の生活は苦しみの連続となりました。今私は、主イエス・キリストの十字架の尊い血潮を信頼して、罪が赦され、罪から解放され、お父さまの愛を受け取ることができ、感謝します。今、イエスさまの愛を受け取り、隣人を愛する人となることができますよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

10月21日へ   10月23日へ   10月の目次へ    毎朝のマナの目次へ

コメント