10月23日 いつも祈りましょう

さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。《マルコの福音書 一・35》

きょうのみことばには、イエスさまの祈りの姿が記されています。イエスさまは、私たちを罪から救うためのいけにえとなるため、この世界に来られました。すべてのことにおいて、天のお父さまに従う生活を送られました。そのためには、天のお父さまと交わる祈りが、イエスさまにはなくてはならないものでした。また、イエスさまは、サタンの悪巧みを打ち砕き、サタンの奴隷となっている私たちを救うためにも、聖霊の力を求め、天のお父さまに祈られました。時には、天のお父さまを賛美する祈りをささげ、時には、罪人の赦しを求めるために祈りをささげ、時には、弱められている人たちのために祈られました。このようにイエスさまはいつも祈りながら、地上での生活を送られたのです。

イエスさまが「祈られた」という最初の記録は、《ルカの福音書 三章21~22節》に書かれています。「さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』

祈りとは、天のお父さまとの対話です。お父さまとの対話を通して、主の御心と私たちの思いを一つに合わせるのです。イエスさまは、弟子を選ばれる時、徹夜で祈られました。そして、12弟子を選ばれたのです。神さまの御心を実行するためです。私たちが、このように神さまの御心を知るためには、神さまからの答えがあるまで、ひざまずいて祈りましょう。1~2時間祈ってみて答えがないからといって、諦めてはいけません。1~2日祈ってみて答えがないなら、1カ月でも2カ月でも断食しながら祈って、また徹夜して祈って、天の父なる神さまに叫び求めましょう。必ず、答えが与えられます。

またイエスさまは、父なる神さまを賛美する祈りをささげられました。私たちがささげる賛美は、いわば「メロディのある祈り」です。イエスさまがコラジンやベツサイダ、カペナウムの人々が頑なであることを責められた後、神さまを賛美して、おっしゃいました。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。《マタイ 十一・25~26》」

イエスさまは、パン五つと二匹の魚を取り、天を見上げて祈られました。ゲツセマネの園で、神さまの御心に服従する祈りをささげられました。そして、十字架の上でも、天のお父さまに「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます《ルカ 二十三・46》」と祈って、息を引き取られました。

このように、イエスさまの生涯は祈りに始まり、祈りに終わりました。ただ祈りだけが、父なる神さまの大いなる力が解き放たれる鍵なのです。イエスさまがいつも祈られて、神さまの御心に従われたように、私たちもいつも祈り、天のお父さまの御心に従い、勝利する者となりましょう。

お祈り:私たちと共にいてくださる天のお父さま、感謝します。イエスさまはゲツセマネの園で祈られ、また12弟子を選ばれる前にも祈られました。どうか、私も毎日の生活で、イエスさまのように祈りの生活を送ることができますよう、聖霊さま、私に力を注いでください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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