あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。《ローマ人への手紙 二・5》
人は毎日、毎日、何かを蓄えて生きています。いろいろな物を蓄えようとします。聖書は、そのことを私たちに教えています。私たちが蓄えている物は、大きく分けると、二つあります。神に喜ばれるものを蓄えることが一つ。きょうのみことばに書かれているように、神の怒りを蓄えていることが、もう一つです。
毎日、天のお父さまに喜ばれるものを蓄える人もいます。また毎日、天のお父さまの御怒りを、自分のために蓄えっている人もいます。お父さまの御怒りを自分のために蓄える人とは、自分中心の生活をする人、外見の姿、自分は人にどのように見られているのだろうか、ということを気にする生き方をする人のことです。聖書は、次のように言っています。「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。《ガラテヤ 五・19~21》」 「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。《ヨハネの黙示録 二十一・8》」 肉体が死ぬことが、第一の死です。霊魂が、創り主であり救い主である神から見捨てられ、永遠の刑罰を受け、燃える火の中に入れられることが、第二の死です。この第二の死から救われる方法は、何もありません。
肉体のことだけに心が奪われている人、自分のことだけに心が奪われている人、この世のことだけに心が奪われている人は、天のお父さまの御怒りを蓄えています。その人は、天のお父さまから見捨てられてしまいます。私たちは、お父さまに喜ばれることを蓄えなければなりません。それは、神の国とその義を第一に求めることです。神の国のため、キリストの福音のために身をささげ、思いを尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、神を愛し、隣人を愛することです。こうして神の国のために力を尽くした人は、神に喜ばれることを蓄えている人です。この人は、神のためにだけ生きることを人生の目的としている人です。永遠に変わらないことを追い求めている人です。
今、日々の生活で、神の栄光のために、信仰によって自分自身をささげている人は、天の御国においてすばらしい祝福が与えられる、と聖書は約束しています。世と世の欲とは、滅び去り、消え去ります。けれども、神のことばは永遠に続きます。天のお父さまは、その人におっしゃいます。「よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。《ルカ 十九・17》」 目には見えませんが、私たちが神の御前で蓄えている物は確実に、永遠に残ります。神に喜ばれる物を蓄えましょう。イエスさまも、私たちに命じておられます。「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。《マタイの福音書 六・20~21》」
お祈り:私たちの王であられ、愛と正義をもって私たちを治めてくださる天のお父さま、感謝します。神に喜ばれる物を蓄える者となりますように。聖なる生活、お父さまにすべてをささげた生活を追い求める者となれますよう、聖霊さま、助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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