あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。【主】であるわたしが聖だからである。わたしは、あなたがたをわたしのものにしようと、諸民族の中から選り分けたのである。《レビ記 二十・26》
今、世界は最後の時を迎えています。人の生活そのものが、地球を破壊しています。水の汚染、大気の汚染は、深刻な問題です。それ以上に深刻な問題は、人がどんどん道徳的に堕落していることです。現代は、聖(きよ)さを失った時代です。聖書は、終わりに時代の特徴について次のように言っています。第一に、悪い姦淫の時代(マタイ 十二・39)。第二に、不信仰な曲がった時代(ルカ 九・41)。第三に、姦淫と罪の時代(マルコ 八・38)。第四に、曲がった邪悪な時代(ピリピ 二・15)です。ですから、聖書は私たちに次のように勧めています。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。《ローマ 十二・2》」
「聖い」ということばは、「異なる」とか、「分離された」という意味があります。今の時代は、自分に厳しく生きることは愚かな生き方だと考える時代です。自分さえ良ければと考える時代、自分を甘やかしている時代です。このような時代に、イエスさまによって新しく生またキリスト者は、世の生き方と「分離された」聖なる生活を送る決心をしなければなりません。そうすれば、道徳的に腐敗し、堕落していくことから守られます。では、どうすれば良いでしょうか。
第一に、私たち神の民は、世の中の考えとは「異なった」考え方をする必要があります。世界を支配している罪は、心を腐敗させます。自分を神から切り離します。死をもたらします。罪で頭の中を一杯にしている人は、心も体も腐敗します。私たちは、聖い考えで頭を一杯にしなければなりません。そのためには、聖書をいつも読み、みことばを思い巡らし、みことばを学び、みことばを行いながら生活しなければなりません。
第二に、聖なる天のお父さまの子どもたちは、世の中のことばとは「異なった」ことばを語らなければなりません。ことばが私たちに及ぼす影響は、本当に大きいものです。「死にたい」と言っている人は、その通りになります。ことばは、人格を変えてしまいます。周囲の人も変えてしまいます。ですから私たちは、聖いことば、神のことばを毎日の生活の中心としなければなりません。そうするとき、聖さが与えられます。
第三に、聖なる神の民は、世の中の人がとる行動とは「異なった」行動をとらなければなりません。教会にいるときだけは聖く生活し、その他の場所では世の中の人と同じ生活をしているというのでは、まことの「光の子」とは言えません。聖さに神の力があらわされます。世の中の生き方と「分離され」なかったら、天のお父さまの真の子どもとは言えません。主を信頼する生活を送り続けるとき、初めて平安と喜びがあるのです。けれども、聖さを追い求めることは人の力ではできません。聖霊さまの助けが必要です。「しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。《Ⅱテサロニケ 二・13》」 「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。《テトス 三・5》」 私たちが聖くされるとき、周囲の人に影響を及ぼすようになるのです。
お祈り:聖であられる天のお父さま、感謝します。聖く生きることを願い求めます。どうか聖霊さま、力を注いでください。主のお心を喜ばせる生活を送ることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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