【主】の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。《士師記 六・34》
天のお父さまが人を用いられる時、必ず聖霊さまをその人に送られ、その人を助けてくださいます。ギデオンの場合も、そうでした。ミデアン人、アマレク人などが、群れをつくりイスラエルを襲って来ました。そして畑を荒らし、羊や牛やロバのための餌までも奪って行きました。イスラエルの民は、希望を失っていました。ところが、天のお父さまはギデオンひとりにだけに、聖霊さまを送られました。これは、どういう意味なのでしょうか。
《創世記 一章2節》には、「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた」と書かれています。つまり、神の霊、聖霊さまが働くところでは、暗闇は光となります。秩序がなく、うごめいている状態は、聖霊さまが臨まれることにより、秩序が取り戻され、美しいハーモニーが生まれます。死は去ります。いのちが満ちあふれるようになります。汚(けが)れは聖められるのです。
イエス・キリストは、多くの問題を抱える人間に、神さまからの答えを持って来てくださいました。その答えとは、どういうものでしょうか。新しい政治でしょうか。社会制度でしょうか。福祉でしょうか。まったく新しい哲学でしょうか。学問でしょうか。そうではありません。イエスさまが、ヨルダン川で、パブテスマのヨハネから洗礼を受けられた後、まず最初に経験したことは、天の窓が開き、聖霊さまが鳩のように降られたことです。これこそが、救い主を待ち望んでいた人間にとって、完全な答えなのです。天のお父さまは聖霊さまを遣わして、私たちの問題を解決されるということなのです。
同じように、ギデオンに聖霊さまが臨まれ、ギデオンに働きかけると、ミデアン人、アマレク人の大軍勢を簡単に打ち破ることができたのです。七年間という長い年月、ミデアン人、アマレク人に苦しめられていたイスラエルの民を、ギデオンは救い出すことができたのです。
同じように、私たちの生活でも、聖霊さまが臨まれ、助けてくださるなら、私たちは何でもすることができるのです。ですから毎日、聖霊さまを歓迎し、聖霊さまを喜んでお迎えし、聖霊さまの導きに従うならば、勇士ギデオンのように勝利することができるのです。そして、私たちと家族だけでなく、学校や会社、この社会に、イエスさまの勝利を豊かに現すことができるようになるのです。
お祈り:永遠に変わることのない愛なる天のお父さま、感謝します。私たちの助け主なる聖霊さまをお認めし、歓迎します。聖霊さまをお迎えし、すべてをゆだねます。聖霊さま、どうかいつも共にいてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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