11月4日 子どものように信頼する

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。」《マタイの福音書 十一・25》

私たちは皆、天の父なる神さまの子です。私たち一人ひとりには、天のお父さまから預かっている子たちを、神の御心にかなうよう養育する親の責任があります。と同時に、私たち自身もまた、神さまの子として父なる神さまの御前では、幼い子どものようになる必要があります。イエスさまは、はっきりとおっしゃいます。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。《マタイ 十九・14》」 大人は、幼い子どものようになってこそ、天の御国に入ることが出来る、という意味です。幼い子どものようになるというのは、体の大きさの意味ではなく、心の性質がそうなるということです。では、幼い子どもの心の性質とは、どのようなものでしょうか。

第一に、幼い子どもは、謙遜です。幼い子どもは、高ぶったり、威張ったりはしません。幼い子どもは自分自身の状態をそのままを現します。私たちも、父なる神さまの御前に出ていくときは、へりくだって、隣人を自分より優れていると思う心構えを持たなければなりません。

弟二に、幼い子どもは、単純です。幼い子供は、自分を知恵のある者だと考えて、「神さまは、どこにいるのですか。神さまのことばが、どうして真理なのですか」などとは言いません。こんなことを言い続ける人は、父なる神さまから見捨てられます。しかし、私たちが幼い子どものように単純な心で、素直に、父なる神さまのことばに耳を傾ける時、主は真理を悟らせてくださいます。そのみことばを通して、私たちの歩むべき道をはっきりと示してくださり、神さまの民として訓練してくださるのです。

第三に、幼い子どもは、親の話をすべてそのまま信頼して受け取り、すべてを親に委ねます。このように、私たちも造り主でいらっしゃる天の父なる神さまのみことばである聖書を、《創世記》から《黙示録》まで。ひとつ残らず信じなければなりません。天地が崩れ去っても、聖書のすべてのみことばは一点一画も変わることがない、とイエスさまはおっしいます。天の父なる神さまは、聖書のみことばを通して私たちを導き、神の民へと変え、いやし、助けてくださるのです。

このように、純粋で、素直で、へりくだった信仰の中でこそ、成長することができます。イエスさまが、「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません」とおっしゃったように、私たちも幼い子のようになったとき、イエスさまのみもとに行くことが出来、イエスさまの恵みの中に入ることができるのです。

お祈り:永遠に変わることのない愛なる天のお父さま、感謝します。私と家族はお父さまによって造られた者です。けれども私たちは今、主のみことばに逆らい、エデンの園を追われ、労苦と病の中で死ぬべき罪人です。そのような私たちをイエスさまは十字架の贖いによって救い、新しく生まれさせてくださいました。いつもこのことを覚え、天のお父さまの御前で、いつも幼い子のような純粋な気持ちでいられるように助けてください。私と家族が、いつも神さまを求め、聖霊さまを待ち望むようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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