まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。《マタイの福音書 六・33》
私たち人間が、幸いな日々を送るためには、何よりも天の父なる神さまを認め、歓迎し、礼拝をしなければなりません。天の父なる神さまは、、この宇宙を創造し、その宇宙の秩序を保っておられるお方です。また、私たちを罪から救い続けてくださるお方であり、私たちを助けてくださるお方です。この天の父なる神さまを信頼し、またイエスさまを信頼する人のいのちの源は、天の御国にあります。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる《マタイ 四・4》」と、イエスさまはおっしゃっています。私たちに起こされることは、いのちの源である神さまから始まっているのです。
ダビデは、神さまから特別な祝福を受けた人です。また、主の特別な働きと約束をゆだねられた人です。「主は私の半飼い。私は乏しいことがありません《詩篇 二十三・1》」という偉大な信仰告白を、彼は残しています。ダビデは、天の父なる神さまが万物の源であられることを悟っていたのです。それで彼は、「主は私の羊飼い」と大胆に告白することができたのです。この告白は、ダビデの信仰の成長に大きな影響を与えました。
しかし今日、ダビデのように偉大な信仰告白をする人は多くありません。人々は、学力によって問題を解決することができると思っています。一流会社に勤めることによって、問題が解決すると思っています。父母の遺産が、問題を解決すると思っています。また、政府の援助によって、生活の問題が解決すると思っています。そうではありません。私たちが本当に信頼し、頼ることのできるお方は、天の父なる神さまだけなのです。そして神さまのみことばと、神さまを信頼する信仰が、いのちの源となるのです。神さまを信頼し、神さまを頼る人には、神さまからのいのちの源から、豊かな栄養分が流れて来るのです。
そのために私たちがしなければならないことは、私たちの人生を神さまにお任せすることです。また日々、神の義を求める生活をすること、神さまの御前に堂々と出られることのできる神の義という資格を求める生活を送ることです。イエスさまを毎日、信頼することです。聖霊さまを認め、歓迎し、頼り、聖霊さまと共に一日を始めることです。聖書を読み、祈り、主に全てのことを感謝し、主の助けを求め続けることです。その時、驚くばかりの神さまの恵みが、私たちの生活の中に現れるのです。
お祈り:今日も私たちをお守りくださる天のお父さま、感謝します。 主よ、私は今まで、神さまよりも目に見える状況に左右され、一喜一憂していました。そのことを悔い改めます。変わることのない天の父なる神さまのみことばを信頼します。どうか私と家族が必要としている、霊、魂、肉体の必要のすべてを満たしてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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