11月19日 虫けらのような人生

(メフィボシェテ)は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様(ダビデ王)が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」《サムエル記 第二 九・8》

聖書に記された人物の中には、絶望の中に置かれ、悲惨な人生を送った人が何人も描かれています。その人たちのことを聖書では、動物や昆虫のようだと記しています。きょうの聖書の箇所には、イスラエルの初代の王サウルの息子ヨナタンの子メフィボシェテが、ダビデのもとに呼び出されたときのことが書かれています。ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデ王に向かい、自分を「死んだ犬のような者」だと言いました。あるいはまた、《詩編 百二・6》には、「私は、まるで荒野のみみずく、廃墟のふくろうのようです」と嘆いております。更には、《ハバクク書 一・14》でハバククは、「あなたは人を海の魚のように、治める者のない、這う虫のようにされます」と嘆いています。

ヨナタンの子メフィボシェテは、足が不自由で、エルサレムから離れたロ・デバルというところで、寂しく暮らしていました。このことは、この世から捨てられた、哀れな姿を表現しています。彼は王の子です。けれども今は、ダビデがイスラエルの2代目の王です。メフィボシェテは、王座からも追われてしまったのです。ですから彼は、全く絶望の中に置かれていたのです。ところが、ダビデは、彼の父ヨナタンと、主の御前で契約を結びました。「ヨナタンの家に、ダビデ王朝の恵みをとこしえに与える」という契約でした。ダビデは戦死したヨナタンに忘れ形見はいないか尋ねると、メフィボシェテの名が告げられたのです。ダビデ王はメフィポシェテを王宮に召し抱え、家族同様に、王の食卓で食事することを許したのです。メフィボシェテは感激して「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは」 と言ったのです。

メフィボシェテのこの言葉は、罪と咎のために堕落して、死ぬばかりとなった私たちの言葉でもあります。私たちは、聖霊さまの御業によって救われ、天の御国の民となり、王の王イエスさまの食卓に与る者とされたのです。ダビデ王は言いました。「サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。《同 九・1》」このダビデのことばもまた、罪人の私たちを御許に招いてくださる、イエスさまの大きな恵みを思い起こさせることばです。天の父なる神さまは、救いの約束を成し遂げるため、御子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。私たちは、この世からも見捨てられたようなものでした。メフィボシェテのように、心の足が不自由になったまま、絶望の中で暮らしていくしかない存在でした。天の父なる神さまと敵対し、心には不安が一杯でした。そして病気になり、毎日の生活では人間関係に悩み、苦しみ、痛みを覚えて、悲惨な人生を送る存在でした。このような人間を救ってくださり、祭司としてくださるお方が、天の父なる神さまなのです。メフィボシェテに会ったダビデは、彼に言いました。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。《同 九・7》」このダビデのことばも、イエスさまが私たちに与えてくださる恵みを言い表しています。

あなたは、今、絶望の中にいますか。死んだ犬のようですか。荒野のみみずくのようですか。また地を這う虫のようですか。もしそうなら、天の父なる神さまの御手にすがりましょう。イエスさまの御名を呼び求めましょう。天の父なる神さまは、まず恵みを下さるお方です。あなたがどんな立場に置かれても、絶対的な御恵みを豊かに与えてくださいます。

お祈り:永遠に変わることのない愛なる天のお父さま、感謝します。私と家族は、神さまの義と愛、心の健康と憐れみの心、信頼し合う心を失って、荒れすたれる時があります。天の父なる神さま、私たちはメフィボシェテのように心の足が不自由なのです。心が病気です。イエスさまの救いの御手で私と家族を導き、いのちにあふれた家庭としてください。私と家族に害を加えようとする暗やみの勢力を追い払ってください。どうか、神さまの御恵みが豊かにあらわれる私と家族となりますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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