ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。《ヤコブの手紙 一・6~7》
私たちは、天の父なる神さまが聖書で約束しておられるみことばを信頼しています。そして、その約束を信じて、祈り求めた通りにかなえられることを切に願っています。けれども、信じても、同時に疑いが私たちの心に忍び寄って来ます。神さまの大きな働きを成し遂げた預言者であっても、みことばを疑うことがあると、聖書に記されています。
エリヤは、カルメル山の上に祭壇を築き、天から炎が降って来るように祈った時、祈りが答えられました。天からの炎で、祭壇の上のいけにえは焼き尽くされました。この奇跡を通して、イスラエルの民たちは「主こそ神です」と言いながら、神さまに罪を告白し、悔い改めました。預言者エリヤは、まさに信仰の勇士でした。
けれども、その時、アハブ王の妃イゼベルがエリヤに対して怒りを燃やし、言いました。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。《Ⅰ列王記 十九・2》」 このイゼベルの言葉がエリヤの耳に入ると、エリヤの心の中には恐れと疑いが入りました。それで、エリヤは荒野に逃げて、神の山ホレブのほら穴の中に入り、神さまに叫びました。エリヤも人間ですから、わずか前には神さまの奇跡を見たにもかかわらず、恐れが彼の心の中に入ったのです。
このように、絶えず私たちの心に押し寄せて来る疑いに対し、私たちが勝ち抜く道は何でしょうか。疑いが波のように押し寄せて来る時、その疑いに勝ち抜き、信仰の道を踏みしめて立ち上がる道は、何なのでしょうか。それは、感謝をささげることです。私たちが感謝をささげ、賛美をささげる時、疑いが消え去ってしまうのです。聖書の《詩篇 五十・23》には、このように記されています。「感謝のいけにえを献げる者は、わたしをあがめる。自分の道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せる。」
私たちが奇跡を体験するためには、信じて、祈り求めた事を疑ってはなりません。疑わないためには、感謝をささげる必要があります。それは丁度、春には種を蒔き、期待しながら、希望を持ちながら耐え忍び、秋に収穫を待つことのようです。感謝をささげた後には、忍耐して、神さまの御心が成し遂げられるのを、待ち望まなければなりません。どんなことが起こっても、すべてのことにおいて感謝をささげましょう。そうすれば、必ず神さまが責任を持ってくださいます。疑いは、私たちの霊・魂・肉体を破壊するように働きかけて来ます。賛美と感謝は、霊・魂・肉体に、活力といのちを注ぎます。感謝のいけにえを通して、私たちの心の中の疑いを消し去ってしまいましょう。
お祈り :昨日も今日も、いつまでも変わることのない天の父なる神さま、感謝します。私たちは、神さまの祝福に満ちた約束のみことばを信頼しています。孤児のように見捨てず、滅びに向かっていた私と家族に永遠のいのちを与えてくださり、天の御国を受け継ぐ者としてくださり、ありがとうございます。人となって私たちの所に来てくださったイエスさま、私たち家族全員の心をしっかりと支えてください。聖霊なる神と共に、この世の患難に勝ち抜くことができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


コメント