1月23日 放蕩息子に与えられた4つの良い物

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』《ルカの福音書 十五・22~24》

イエスさまが語られた「放蕩息子」のたとえ話の中の父親の姿は、愛といつくしみに満ちた天の父なる神さまの姿を現しています。父なる神さまは、ご自分の律法だけをもって厳しく裁くような冷たくて、むごい父親ではありません。わがままに暮らした自分の二番目の息子が、みすぼらしい乞食のような姿で父親のもとに帰って来る時、父親は遠くから息子の姿を見つけました。すると父親は、臭く、汚れていたわが子を抱き、口づけして「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と大喜びしました。この父親のように、天の父なる神さまは、悔い改める者を心から喜ばれるお方です。天の神さまは、絶対に正しい義なるお方です。絶対にきよい聖なるお方です。けれども、その義と聖は、愛といつくしみと恵みに基礎を置いています。愛と恵みに富んでおられる天のお父さまは、ご自分のもとに帰って来た放蕩息子のような私たちに、どのような恵みを下さるのでしょうか。

第一に、「一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい」と父親は言いました。この着物とは、神さまの御前に恥ずかしくなく、堂々と立つ事ができる、イエスさまの尊い血潮で買い取って下さった救いの衣です。罪に染まり、絶望に落ち込んでしまった古い着物を脱ぎ捨てて、イエス・キリストによって与えられた新しい義の衣を着るのです。

第二に、「手に指輪をはめなさい」と父親は言いました。神さまは、ご自分の子である私たちが立ち返るとき、神とサタンの前で、私たちが神の子であると証しする指輪をはめてくださいます。これは、完全に救われたしるしです。

第三に、「足に履き物をはかせなさい」と父親は言いました。裸足で歩いて来たので、血だらけになってしまった足に履かせた靴とは、何を意味しているのでしょうか。それは福音の靴です。「足には平和の福音の備えをはきなさい《エペソ 六・15》」と書かれています。とげだらけの道、あざみのだらけの道、石ころだらけの道のような毎日を暮らして行く私たちに、主は、イエス・キリストの福音に従って、イエス・キリストを信頼することによって暮らしなさい、と語っておられます。

最後に、「肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう」と父親は言いました。神さまが私たちに願われるのは、肥えた牛をほふって食べ、心に満足と喜びを持って暮らす生活です。神さまの特別な御心により、苦難と試練を受ける場合の他は、必ず神さまは、豊かに肥えた子牛を毎日備えて下さるのです。つまり、素晴らしい恵みを、毎日備えて下さるのです。私たちは、ただその恵みを喜んで、感謝して受け取り、賛美して暮らすのです。

人はだれでも、神さまのもとに帰らなければなりません。その時こそ、最も尊い、価値ある存在になることができるのです。神さまは、どんな罪人でも、イエス・キリストの御名の中で受け入れて下さるのです。それだけでなく、良い物で、私たちを豊かに満たして下さるお方なのです。

お祈り:私たちに救いを豊かに与えられる天の父なる神さま、感謝します。私たちは神さまの御心を忘れ、放蕩息子のように、自分勝手に暮らすことが沢山あります。赦してください。限りない愛といつくしみをもって受け入れてください。また、未だに神さまのもとを離れて、罪と悪の中で暮らす家族や友だちがいます。彼らを早く主のもとに導いてくださいますよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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