わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。《ヨハネの福音書 十二・46》
イエスさまは、私たちをご自身の救いの光の中に住まわせるために、十字架の苦難を受けられました。生まれながらの私たちは、暗やみに属する者で、暗やみの中に住んでいます。イエスさまは、光としてこの世に来られました。ですから、イエスさまを信頼して毎日を生活する人は、光に属し、光の中で生活できるのです。
聖書は、人間の持つ暗やみの性格について語っています。きょうは、6つのことについて考えて参りましょう。
第一に、暗やみとは、「死とよみ:地獄」のことです。「死においては、あなたを覚えることはありません。よみにおいては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう《詩編 六・5》」と書かれています。
暗やみとは、第二に、「神に従わない者の歩み」のことです。「正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪しき者の道は暗闇のよう。彼らは何につまずくかを知らない《箴言 四・18~19》」と書かれています。
また暗やみとは、第三に、「愚かさ」のことです。「知恵のある者は頭に目があるが、愚かな者は闇の中を歩く。しかし私は、すべての者が同じ結末に行き着くことを知った《伝道者 二・14》」と書かれています。聖書の言う「愚かさ」とは、神を信頼しない「不信仰」、あるいは「不信仰な者」を言います。
暗やみとは、第四に、《エゼキエル書 十八章12節》では、「偶像礼拝」を暗やみと言っています。
更に暗やみとは、第五に、「裁きと地獄」のことです。「王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。《マタイ 二十二・11~13》」
最後に暗やみとは、「憎しみ」のことです。「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです《Ⅰヨハネ 二・10~11》」と書かれています。
生まれながら人は、罪と永遠の暗やみに住んでいる者です。このような人間にとって、光として来られたお方がイエスさまです。イエスさまは、人にいのちの光を照らしてくださいました。ですから、誰でも悔い改めて、イエス・キリストを救い主として心に受け入れるなら、これらの暗やみから、愛するイエスさまのご支配、光の中に移されるのです。「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました《コロサイ 一・13》」と書かれています。私たち人類を、光の世界に導くため、私たちの身代りとなってイエスさまは、十字架の上で暗やみの絶望を体験し、通過してくださったのです。イエスさまの救いは、偶然にできたものではありません。イエスさまは神の御子ですが、十字架上で、絶望と苦難の代価である血潮を流し、私たち人間をお救いくださったのです。
お祈り:いのちの光として来られたイエスさま、心から感謝します。私と、私の家族から、すべての暗やみを追い払ってください。罪と絶望と呪と病気と死の暗やみから私たちをお救いください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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