2月2日 祈るとき、誰かを憎んでいたなら、赦しなさい

また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。《マルコの福音書 十一・25》

祈りは、ただ私たちの要求していることを並べ立て、神さまに私たちの願いごとをねだるということではありません。祈りは、天の父なる神さまのみことばを求めることです。心のへりくだった態度で、「天のお父さま、この事に対してみことばをお与えください」と、主のお考えをお聞きすることです。イエスさまのお名前によって、天のお父さまと親しくお話しすることが、祈りです。

イエスさまはある時、弟子たちに言われました。「神を信じなさい。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。《マルコ 十一・22、24》」 イエスさまがおっしゃった「神を信じなさい」とは、「神さまがお持ちの信仰を、あなたも持ちなさい」という意味です。その「神さまがお持ちの信仰を、私が持つ」ためには、自分自身の望んでいることを神さまに言う前にまず、隣人の罪を赦す必要があるとイエスさまは、きょうのみことばでおっしゃってのです。ですから、隣人を赦しましょう。そうしたら、天のお父さまと対話ができて、神さまがお持ちの信仰を、私も持つことができるのです。

信仰と希望と愛を心に満たしている人は、肯定的な人、光の中を歩んでいる人です。隣人を憎み、恨んで、隣人を心の中で呪っている人は、否定的な人、暗やみの中を歩んでいる人です。私たちの心が否定的になると、肯定的な神さま、光の中におられる神さまから、どんどん遠ざかってしまいます。ですから、神さまに答えて頂き、神さまからみことばを頂き、神さまがお持ちの信仰を私も持つために、先ず、否定的な心を捨てましょう。否定的な心を捨てるためには、隣人を赦すことが何よりも大切でです。

「どうして人を赦すことが、祈りが答えられることと関係があるのですか?」と言う人もいるでしょう。人を憎み、恨んで、人を呪っていると、その相手よりも、自分自身の心が破壊されてしまうからです。その憎しみ、恨み、呪いのことばが、神さまから私たちを遠ざけてしまうからです。

神さまを信頼して、心から信じて祈ったのにもかかわらず、神さまから具体的に答えを受け取ることができない人は、聖霊さまにお願いし、自分の心の中を聖霊さまの光によって照らして頂き、聖霊さまによく探って頂き、人を憎む心がないかどうかを調べてみましょう。もし、誰かを憎んでいる自分を発見したら、すぐにイエスさまのお名前によって赦して、その人を祝福しましょう。私たちの口から出た祝福のことばが、私たち自分自身の心を肯定的に変えるのです。すると、光の中におられる神さまの答えを受けることができるようになります。憎しみは、祈りにとって、毒となります。主の愛をいただき、この憎しみから解放されましょう。そうする時、信仰が30倍、60倍、100倍となって実を結ぶようになります。

お祈り:天の父なる神さま、感謝します。十字架の苦しみを通して私たちを完全に赦してくださったイエスさまの恵みに感謝します。私たちは、イエスさまの十字架によって、何の代価も払わずに救われ、赦されました。どうか私たちも隣人の罪を完全に赦すことができるよう、聖霊さま、力を注いでください。そして神さまの素晴らしい働きのできる者としてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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