2月27日 信じる者には、どんなことでもできるのです

イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 《マルコの福音書 九・23》

ある日イエスさまは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて山に登ると、彼らが見ている前でイエスさまのお姿が変わりました。イエスさまの着ている服は真っ白になり、イエスさまは太陽よりも明るく輝いたのです。そして、エリヤとモーセが現れ、イエスさまと話し合っていました。その時、ペテロが口を出してイエスさまに言いました。「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。幕屋を三つ造りましょう。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。《マルコ 九・5》」 ペテロが造ろうとしたのは、仮庵の祭りの時に建てる粗末な小屋です。仮庵の祭りは、過越の祭りと五旬節の祭りを祝った後に祝う祭りです。先ず過越の祭りを祝わなければなりません。つまり、イエスさまがモーセとエリヤと共に話し合っていたのは、サタンの支配している世界から人々を脱出させるための「過ぎ越し」についてでした。神の子羊であるイエスさまが十字架でほふられ、血を流し、その血によりサタンの支配するこの世から、人々を救い出す「霊的世界での出エジプト」について話し合っておられたのです。けれどもペテロは、イエスさまが十字架で血を流し死ぬことを全く理解していませんでした。イエスさまは直ぐにでも千年王国と呼ばれている「神の国」を成就すると思っていました。イエスさまが平和の君として支配する、メシア的王国が直ぐにやって来ると思っていたのです。それは、他の11弟子も同じでした。その後、イエスさまが山から降りて来られた時、一人の父親が悪霊にとりつかれている子を連れて来て「いやして下さい」とお願いしました。イエスさまは言われました。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。《同 九・25》」 すると直ちに悪霊は出て行き、きれいにいやされ、この家庭に平安と希望の光が照らされたのです。

イエスさまは山の上でただ一人座っている神秘主義者ではありません。また理論だけを展開し、実際には何の助けの手を差し伸べられないお方でもありません。イエスさまはおっしゃいます。「まず神の国とその義とを求めなさい。《マタイ 六・33》」 神の国とその義とを求めるなら、神さまの永遠のいのちと不思議を体験します。そして私たちはそれぞれの職場、家庭、学校、町や村に戻るのです。そこは死と苦しみ、問題だらけの空しい世界ですが、そこでイエスさまと一緒に生活するのです。すると、イエスさまのいのちと不思議が現れ、死の代わりにいのちを得、暗やみの代わりに光が与えられ、病の代わりに健康を得、絶望の代わりに希望を得ることができるのです。イエスさまはいのちを与え、聖霊さまの全能の力で不思議を行われる方です。

弟子たちはイエスさまの前に進み出て、「私たちが霊を追い出せなかったのは、なぜですか《マルコ 九・28》」と質問しました。イエスさまは「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません《同 九・29》」とおっしゃいました。

このように熱心に祈る時、悪霊が追い出され、神さまの驚くべき奇跡が現されるのです。ですから私たちは、どんな時でも、まず神の国とその義を求めながら、毎日、イエスさまに忠実に従う生活を送る必要があります。そうする時「信じる者には、どんなことでもできるのです」という、神さまの奇跡が満ちあふれる生活を送るのです。

お祈り:私たちといつも一緒にいてくださる天の父なる神さま、感謝します。この世はいつも変わって行きますが、神のみことばは変わることがありません。どうか私たちが生きている限り、いつも神さまの御業を体験し、そのことを通して、この世で勝利し、キリストの福音と真理とを伝えることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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