3月5日 神さまの御前に堂々と出られる資格を得るには

私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。 《ガラテヤ人への手紙 五・5》

私たちがしなければならない最も重要なことは、神さまから義と認められることです。言い換えると、神さまの御前に堂々と出られる資格を得る、ということです。

人は誰でも、生まれながら罪人です。罪を持って、母の胎から生まれ出ます。罪人は、神さまからの栄誉を受けることができません。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない《ローマ 三・23》」のです。

人は、どのような素晴らしい行いをしたとしても、神さまの御前で義と認められることはできません。私たちの行いや働き、業績によっては、神さまの御前に堂々と出ることはできないのです。ただ、イエス・キリストを信頼することによってだけ、神さまから義と認められるのです。イエス・キリストを信頼することことによってだけ、私たちは神さまの御前に堂々と出られるのです。「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。《同 四・25》」 イエスさまがよみがえられたことによって、イエスさまを信頼している私たちは義と認められるのです。人が自分の性格を変えようとしたり、自分の性質を良くしようとしたりする「修養」は、宗教です。宗教には、神さまはいません。人間が考え出した「神」や「仏」がいるだけです。義と認められることも、救いも、永遠のいのちも、人間の罪をすべて赦して下さったイエス・キリストを信頼することによってのみ、得ることができるのです。死からよみがえられたイエス・キリストを信頼する人だけが、神さまの御前に堂々と出られるのです。

イエス・キリストによって義と認められる道に入ったならば、神さまの御前に堂々と出られるよう、私たちは益々励む必要があります。人が毎日お風呂に入っても、直ぐにあかがつきます。同じように、イエスさまに救われた後も、あかのように、罪が絶えず私たちの心をけがすのです。ですから、救われた私たちは、いつも悔い改めにふさわしい実を結びながら、神さまの御前に堂々と出られるように励む必要があるのです。世界が終わろうとしている今、罪悪は益々クリスチャンに近づいています。クリスチャンは罪悪と手を結んではいけません。神さまにお会いする準備をしなければならないのです。人は自分の力で義と認められることはできません。ですから私たちは、力の源である聖霊さまを信頼しなければならないのです。私たちが聖霊さまを信頼するとき、聖い生活を送ることができ、また神さまにお会いする準備が進むのです。

人がどんなに良い服を着て、おいしい食べ物を食べ、有名になり、お金持ちになったとしても、神さまの御前に堂々と立つ資格を持っていなければ、幸せにはなれません。地上の生活だけを見ていると、幸せそうに見える人がたくさんいます。でも、その人たちの心は空しいのです。幸せな人生は、神さまの御前に堂々と出ることのできる資格を得るために準備する生活です。

お祈り :私たちの家庭を愛して下さる天の父なる神さま、感謝します。神さまの御前に堂々と出られる生活ができなかったことを赦して下さい。罪悪が洪水のように押しよせている今、清潔で、正しい生活をすることにより、神さまの栄光を現す者に変えてください。でも自分の力ではできないことを告白します。聖霊さまが義なる生活を送れるようにしてくださり、義の力を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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