3月11日 宝を入れた土の器

私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。《コリント人への手紙 第二 四・7》

イエスさまの弟子のペテロやパウロが殉教し、天に帰った後、その次に教会のリーダーとなった人の中にクリソストムという人がいました。ある日、ローマ皇帝がクリソストムに、イエス・キリストの信仰を捨てるようにと命令を下しました。しかし彼は、「私は死んでもキリストの信仰を捨てない」と、皇帝の命令に逆らいました。彼はすぐさま逮捕されました。ローマ皇帝は家来に、「クリスソストムを誰とも話さないように独房に入れなさい」と命じました。するとその家来は、「皇帝陛下、ご存じないのですか。もし彼が独房に一人でいると、いつも祈り、賛美しています。」それを聞いて激怒した皇帝は、「それなら、極悪な犯罪者のいる牢屋に入れなさい」と命令しました。家来はまた、「いいえ、皇帝それはだめです。あの人はむしろイエスさまを伝えるチャンスを得たと言って、飛び上がって喜ぶでしょう。そして牢屋の中の人々はみんなクリスチャンになってしまうでしょう」と言いました。「それなら、あいつを引っぱり出して首をはねなさい」と皇帝が言うと、「皇帝は何もご存じないから、そうおっしゃるのです。あのやつらにとって、イエス・キリストのためにいのちを奪われる殉教は、最高の栄誉です。だから彼の首を切るために牢屋から出しても、牢屋の中に入れられているクリスチャンたちは、誰も泣かないでしょう。むしろ顔を輝かせて喜びます」と、家来は言いました。すると皇帝は、「それなら、あいつをどうすれば良いと言うのか」と言って嘆いたということです。

私たちクリスチャンは、「四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。《Ⅱコリント 四・8~9》」なぜなら、土の器である私たちの肉体の中には、宝があるからです。

この宝とは何のことでしょうか。お金にすると、いくらになるという宝ではありません。この宝とは、神のひとり子、イエスさまです。イエスさまは、聖霊の力によって肉体という衣を着て、この地上に生まれて下さいました。神の子として、私たちのために十字架の上で死なれ、復活なさいました。今は天におられ、私たちに聖霊なる神さまをお送り下さり、永遠のいのちを与えて下さいました。イエスさまは、私たちのいのちの源です。私たちに永遠のいのちをお与え下さり、聖霊さまが私たちを占領するようにして下さいました。私たちの肉体である土の器が四方八方から苦しめられ、途方にくれるような苦しみを経験し、迫害され、見捨てられ、倒されても、私たちは、この聖霊さまの偉大な力を確かに体験するようになるのです。私たちの中にある宝のすばらしさを体験するようになるのです。「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです《同 四・10》」と書かれている通りです。

お祈り:愛と義の天の父なる神さま、日々新たに、私を造り変えて下さる恵みに感謝をささげます。宝であるイエス・キリストを私は持っていますから、どのような苦しみや困難が襲って来ても、絶望せずに、感謝するようにしてください。私と家族の祈りを聞いてくださり、真実を尽くし、真心を込めて仕える生活を送り、主の栄光を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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