2月18日 何のために私と争われるのですか

何のために私と争われるのかを教えてください。 《ヨブ記 十・2》

試みの中にある魂よ。おそらく主は、あなたの魅力や品性を成長させるために、あなたを試みの中にお入れになったのであろう。試みを経なければ、魅力や品性が見い出されることは決してない。

太陽が輝き、光が大地に燦々と降り注いでいる真夏の日々もある。暗い雲が低く立ち込める真冬の日々もある。同じように、真夏の日々のような信仰生活もあり、真冬のような信仰生活を送る日々もある。信仰が大いに引き上げられるのは、夏ではなく、真冬の日々であることを知らいないのだろうか。愛は、蛍のようである。周囲が暗くなければ、ほとんど輝きを示せない。希望は星のようなものである。順境の太陽が輝いている中では見ることができない。ただ逆境の夜に発見され得るのである。試練は黒い布のようである。黒い布の上に宝石を置けば、輝きが際立つ。神は、ご自身の子たちの魅力や品性という宝石の輝きを際立たせるために、黒い布である試練を置かれるのである。

あなたがひざまずき、次のように祈ったのは、ついこの間のことではないだろうか。「主よ、私に信仰があるか否か、分からないのです。私に信仰のあることをお教えください。」あなたの祈りは聞かれた。あなたは無意識の内にではあるが、神に試練を求めていたのである。あなたに与えられている信仰は、試みの中に置かれる時、働くからである。

神が私たちに試練をお与えになる理由は、試練を通った時、私たちの魅力や品性が見い出されるからである。そしてその時、私たちには信仰が与えられていることが証明されるのである。主はあなたに信仰をお与えになった。このことを、神が確実に保証してくださっている。しかも、単に発見されるだけではない。試練によって私たちは、恵みによって強められ、恵みによって成長する。その結果、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられるのである。

神は、私たちが快適に過ごしてる状況を取り上げたり、私たちが与っている恩恵を取り上げたりする。それは、私たちをより良いクリスチャンにするためである。主はご自分の兵士を、特別に訓練なさるのである。主の兵士が訓練を受ける場所は、贅沢な品物に囲まれた、何の苦しみもない部屋の中ではない。先ず、野営するように命じられる。そして、行軍を命じられ、激務に携わらせられる。主の兵士が受ける訓練は、谷底の流れを渡り、川を泳ぎ、山に登る。悲しみという重いリュックサックを背負い、長く続く道を何度も何度も歩く。

クリスチャンよ。なぜ、あなたが試練の中を通っているか、これで説明がつくのではないだろうか。主は、あなたの魅力や品性を引き出し、それを成長させておられるのではないだろうか。これこそ、安穏に暮らしているあなたと、主が争われる理由ではないだろうか。

「試練は、神の約束を麗しいものとし、 / 試練は、祈りの内に新しいいのちを与え、 / 試練は、私を主の足もとに導き、 / 主の御前に私を低くさせ、ひれ伏す者とならせる。」

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