肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。《ローマ人への手紙 八・5~6》
私たちの心の中には、戦いがあります。その戦いの中の一つが、キリストに従順するための戦いです。
私たちの心は、何かに捕らえられています。心を捕らえていることがらに、私たちの考えは縛られて行きます。もし、自分の心がキリストに捕らえられていないなら、私たちは簡単に肉の欲、目の欲、この世の誇りに思いが奪われ、滅びの道を歩むようになります。反対に、もし、自分の心がイエスさまに捕らえられているなら、私たちの考えにはどんなことが起こるのでしょうか。必ず、神さまのいのちと自由と祝福を受けるようになります。イエスさまに捕らえられた人は、罪と死と悪魔から解放されました。そして、神さまの豊かないのちと平安を受け取ることができるのです。それでは、どうすれば私たちの心は、イエスさまに捕らえられるのでしょうか。
第一に、キリストの御心に自分を接ぎ木することです。人が栽培して育てているオリーブの木に野生で育ったオリーブの木を接ぎ木します。すると枝先には、野生で育ったオリーブの木の実ではなく、栽培種のオリーブの木の実を結びます。このように、私たちの考えを、神のみことば、イエスさまの御心に接ぎ木すれば、イエスさまに捕らえられます。救いと聖霊に満たされること、いやしと永遠のいのちに思いを集中して考えることが出来るようになります。
私たちの心がイエスさまに捕らえられるため、第二に、聖霊さまを信頼することです。聖霊さまはご人格をお持ちです。ですから、聖霊さまをお認めし、喜んでお迎えし、聖霊さまに期待するとき、聖霊さまは私たちの考えの中にご臨在なさって、ただイエスさまだけを見上げ、神の栄光だけを考えるように導いてくださるのです。
私たちの心がイエスさまに捕らえられるため、第三に、みことばを口で告白することです。イエスさまを信じる人とイエスさまを信じない人の違いは、告白することばにあります。信じない人は、この世の言葉を語ります。彼らは「出来ない。死にたい。だめだ。絶望だ」と言います。イエスさまを信じる人たちは、「出来ます。もし出来ればと言うのか。信じる者にはどんなことも出来るのです」という聖書のみことばを語ります。そして、このような言葉が私たちの考えを捕らえて、私たちをイエスさまの御心の中に住まわせるのです。ですから今日も、イエス・キリストの中で創造的、肯定的、生産的な天のみことばを通して、神の御心に捕らえられるようにしましょう。
このようになったとき、今日一日を、いのちと自由と祝福の中で過ごすことができるのです。熱心になって、自分の考えをイエスさまが導いてくださるように、主にゆだねましょう。
お祈り:祝福の源であられる天のお父さま、感謝します。私たちを贖うために、イエスさまはご自身の肉体を裂かれ、尊い血を流され、いのちを惜しむことなく私たちに与えてくださった愛の主よ、私と家族の考えを主のもとに導いてください。私と家族が、イエスさまの贖いの恵みといやし、呪いからの解放と永遠のいのち、聖霊さまとの交わりを常に感謝することができますように。否定的で破壊的な考えを捨てて、肯定的な考えを持つよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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