愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。《ペテロの手紙 第一 四・12~13》
人は、毎日生活している中で、必ず試練を受けます。試練は、イエスさまへの愛の炎を消そうとして、まるで暴風雨のように襲って来ます。野に咲く花とは違い、温室育ちの花はひ弱です。私たちの愛を、温室育ちの花のように弱いものにではなく、野の花のようにたくましくするために、試練がやって来るのです。しかし、試練の後には必ず神の栄光が続いて来ます。私たちは、その栄光と恵みの中で、心の底から喜ぶようになるのです。
イエスさまは、マルタとマリアの家庭に愛を植えてくださいました。けれどもその後、試練がやって来ました。お兄さんのラザロが、病気になったのです。ニ人の妹の必死の看病にもかかわらず、ラザロは死線をさまよい始めました。マルタとマリアは、人を送ってイエスさまに早く来て下さるようにお願いしました。イエスさまが来てくださるのを、首を長くして待っていました。けれども、イエスさまは一向にお見えにならず、ついにラザロは息を引き取ってしまいました。この家庭に絶望がやって来ました。イエスさまの愛に対する疑いが、心にわいて来ました。「イエスさまが私たちを愛していらっしゃるなら、なぜ知らせを聞いて、すぐに駆けつけてくださらないのでしょう」という考えが心の中に湧いて来たのです。二人の妹は完全に絶望してしまいました。ラザロが死んで四日が経ち、やっとイエスさまが到着されたのです。妹たちは「主よ、もしここにいてくださったなら、私の兄は死ななかったでしょうに」と言いました。イエスさまはその時、愛とは過去や未来ではなく、今現在のことであることを教えてくださいました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。《ヨハネ 十一・25~26》」そして墓に行き、死んで四日経ったラザロを生き返らせてくださいました。
イエスさまは、今も私たちと一緒にいてくださいます。私たちを愛して、すべてのことを益に変えてくださるお方です。美しく創造してくださるお方です。マルタとマリアはこの試練を通して、この真理を悟ることができたのです。
天の父なる神さまの愛は永遠に変わることがありません。たとえ手でさわることのできる確証がなく、耳には何も聞こえなくても、目には何も見えなくても、天の父なる神さまは私たちを守っておられるのです。このように、試練は私たちの心から不信仰を捨てさせ、神さまを信頼し、主に完全にゆだねて生きるための訓練となるもので、毎日の生活の中では必要なものなのです。
お祈り:いつも守ってくださり、長く待ってくださる天の父なる神さま、感謝します。今この場にも働いてくださっていることを感謝します。神さまの約束のことばは、変わることがありません。いかなる問題が襲って来ても、約束のみことばを信頼し、耐え忍んで生活することができますように。私たちが、周りの状況を見て絶望することがないようにしてください。家族全員の信仰を固く守ってくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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