12月18日 きよめられることを追い求めよう!

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け(なさい。) 《テサロニケ人ヘの手紙 第一 四・3》

今年一年が終わろうとしています。この時期、私たちは一年間の自分の歩みを振り返り、主なる神さまの御前で、静かな時間を持つべきですが、ほとんどの人は、静まる時間を持ちません。なぜでしょうか。

主なる神さまに背を向け、堕落した人にとっては、静まる時間を持つことは、愚かだからです。生まれながらの性質である肉は、活動すること、働くことが大好きです。主なる神さまに背を向け、堕落したアダムの子孫である私たちの心は、この世で楽しみを受け取ることだけに向きます。私たちは皆、自分の欲望を満たすことだけに心を使う、罪の奴隷です。私たちの心の性質の根源には憎しみ、怒り、ねたみ、しっとなど、聖くない性質が深く深く根を張っています。

しかし、誰でもイエス・キリストを救い主として心の中に迎え入れると、聖い神の品性が与えられるのです。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます《Ⅰヨハネ 一・9》」と書かれています。ですから、私たちは常に悔い改めの心をもって、神さまの御前に進み出なければなりません。考えが汚れて、行いが汚れていることが、罪です。

罪はまた、分裂を呼び込みます。神さまと人間に深い溝を作ります。夫と妻が仲たがいします。親と子が断絶します。隣人同士が争います。それに加えて、罪は自分の心から周りの人々に臭いにおいを放ち、自分も周りの人も滅びに向かわせてしまいます。「罪を犯したたましいが死ぬのであり、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない。正しい人の義はその人の上にあり、悪しき者の悪はその者の上にある《エゼキエル 十八・20》」と書かれている通りです。ですから、私たちには、悔い改めが必要なのです。

悔い改める人は、天の御国を体験します。イエスさまも「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから《マタイ 四・17》」とおっしゃいました。また「神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです《ローマ十四・17》」とも書かれています。人が神さまの御前で徹底的に悔い改めると、神の赦しと義が与えられます。赦された喜びほど、嬉しいことはありません。その喜びこそが、勝利ある人生に私たちを導くのです。誰でも福音を受け入れて悔い改めると、その喜びを体験することができます。

ピリポがサマリヤの町に行き福音を伝えた時、汚れた霊が追い出され、病がいやされて、サマリヤの町に大きな喜びが起こりました(使徒 八・8)。私たちは常に悔い改めて、聖くなりましょう。これは神さまの御心です。神さまの御心に逆らった人生には、真の幸福と繁栄はありません。「悪しき者には平安がない。──私の神はそう仰せられる《イザヤ 五十七・21》」のです。悔い改めて、聖霊さまを求めることが、人生で最も幸福なことなのです。

この年末に酒を飲んでは歌い、みだらに騒いだりするのは、人間を破壊させようとする悪魔の策略に乗ることです。この様な時こそ、心とからだを聖霊さまのために使うことに集中し、主のために価値ある生活を送りましょう。

お祈り:義と平和の主である天の父なる神さま、感謝します。私と家族は、この世のみだらな事に心を奪われる事なく、聖い生活を送ることができますように。私と家族が、イエスさまの花嫁にふさわしく、敬けんな私と家族となりますよう、聖霊さま、助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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