2月9日 誤解の器に入れられるとき

愚か者は自分の怒りをすぐ表す。賢い人は辱めを気に留めない。《箴言 十二・16》

今日から4回にわたり、天の父なる神さまが私たちをどのように訓練してくださるのかについて学んで参りましょう。

ぶどう酒を造るためには、まずぶどうを収穫し、これをつぶし、果汁を集めます。この果汁には、ぶどうジュースと細かいぶどうの皮や種や果肉が混じっています。いろいろな物が混じっているこの果汁を大きな器に入れ、しばらく置いておきます。幾日か経つと、完全に皮や種や果肉の不純物が器の底にたまります。果汁は純粋になります。その澄み切った果汁を、新たに違う器に移します。すると発酵し始め、美しい赤い色のぶどう酒が出来上がるのです。

同じように、天の父なる神さまは、いくつかの段階を通して私たちを訓練されます。その最初の段階が「誤解の器」です。きょうは、この「誤解」について学びましょう。天の父なる神さまは、私たちをまず「誤解の器」に入れ、訓練してくださいます。

私たちがイエス・キリストを救い主として信じて救われると、神の子とされた喜びに満たされます。しかし一方では、まだまだ普段の生活を「生まれながらの性質」によって生きていることの方が多いですから、私たちは直ぐに腹をたてます。わがままを繰り返します。生活は自分中心です。

この時、主が私たちをイエスさまの姿へと造りかえるために準備して下さる段階が、「誤解の器」なのです。不思議と、周りの人々から誤解を受けることが多くなります。この「誤解の器」の特徴は、色がついている陶器のようなもので、周りの人々は、器の中にある物が見えません。表面の色だけを見て判断します。ですから誤解を受けるのです。人々は、私たちが神の子とされ、心の中が変えられた姿を見ないで、見た目、第一印象、周りの人々の噂によって判断します。その時、私たちは誤解を解こうとします。また誤解する人々を逆恨みしたり、その人々のことで怒ったりします。しかしこの時、もがけばもがくほど、ますます誤解されます。ますます迷い、出口が見つからなくなります。

それはまるで澄み切ったぶどうの果汁を、再びかき回すようなことをしていることなのです。かき回せば、せっかく沈んだ不純物がまた浮かんで来てしまい、果汁は濁ってしまうのです。誤解を解こうとすることは、ぶどうの果汁をかき回すことと同じことなのです。誤解を受ける時、必死になって釈明しようとすればするほど、ますます誤解されてしまうのです。こんな時には釈明しようとしないで、耐え忍ぶことが大切です。エジプトに奴隷として売られたヨセフが、ご主人のポティファルの妻のことで誤解を受けた時、忍耐して、黙々と牢の中で神さまの助けを待ち望んだように、私たちも誤解を耐え忍ぶ時、神さまのすばらしいお取扱いを受けることができるのです。「誤解の器」に入れられた私たちからは、イエスさまを信頼する信仰に交じっている色々な不純物、この世の考え方や態度、不信仰が取り除かれ始めるのです。

お祈り:全てのことを益に変えてくださる天の父なる神さま、神さまのお考えと愛に感謝します。毎日の生活の中で、あまりにも多く誤解されることがあります。でもその度に、イエスさまの従順を学び取って行くことができますよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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