2月10日 練られた品性と試練の器

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。《ローマ人への手紙 五・3~4》

きょうは、「練られた品性と試練の器」に関して学びましょう。心の中にある不純物が取り除かれるために、「誤解の器」に入れられた私たちが主にすべてを委ねる決心をし、主を信頼して耐え忍んでいると、私たちからは、イエスさまを信頼する信仰に交じっている色々な不純物、この世の考え方や態度、不信仰が取り除かれ始めます。すると次に、私たちは、「試練の器」に移されるのです。

不純物が取り除かれるために入れられる「練られた品性と試練の器」とは、ちょうど首が細長く、下が丸い、素焼きの陶器の形をしています。この中からは外が見えません。ガラスなら光が入りますが、陶器なので光が入りません。ですから暗くて方向もわからず、息がつまりそうになります。この器の中に入れられると、家庭は不和となり崩壊するのではないかと思えるような事が、次から次へと起こされます。事業をしている人は、会社が倒産するのではと思えるような事が、次から次へと起こされます。仕事は何もかもうまくいきません。自分が計画したことは何一つ成し遂げられません。まるで針のむしろに座ったかのように思えるのです。将来のことを考えても、真っ暗やみです。

この「練られた品性と試練の器」に入っている時、神の子たちがすべきことはただ一つ、主のみことばだけを完全に信頼することです。この時、ここから脱け出るために何かをしようとすればするほど、じたばたすればするほど、傷だらけになってしまいます。目には何も見えなくても、耳に何も聞こえなくても、手には何もつかむものがなくても、たとえ天地が崩れ落ちても、一点一画も変わることのない約束のみことばを信じて実践するのです。みことばは生きて働いて、きょう私たちの生活の中で奇跡を現すからです。自分の感情に頼ってはなりません。また、環境を見て、心に平安を得ようとしてはなりません。聖書の《創世記》から《ヨハネの黙示録》までのみことばを信頼するのです。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる《マタイ 四・4》」という、神があなたや私に直接お語り下さる約束のみことば:レーマによって与えられる信仰を持つことなのです。

私たちに試練という逆境、苦難がやって来る理由は、私たちが神の約束のみことばの上に立つ信仰を持つ者となるためなのです。モーセは、「訓練と試練」の器から出て来る時、神さまのみことばだけを信頼する「信仰の杖」一本を持って出て来たのです。その杖によって、偉大な信仰のしるし、神さまの奇跡を現す生活を送ることができるようになったのです。そうして初めて、モーセはイスラエルをエジプトから解放するという奇跡の指導者となることができたのです。

私たちも「練られた品性と試練」の器から出て来る時には、不純物が取り除かれるために通された苦しみや問題から、聖霊さまの力によって出て来る時には、モーセのように神さまのみことばだけを信頼する「信仰の杖」一本を持って、偉大な信仰の奇跡を見ることのできる生活を送ることができるのです。

お祈り:私たち一人ひとりの人生に深いご計画をお持ち下さる天の父なる神さま、感謝します。「練られた品性と試練の器」を通すことによって、私と家族を恵みの道に導かれる主に感謝と賛美をささげます。どんな苦しみや問題が襲って来ても、へりくだって主に感謝し、神のみことばだけが成ることに信頼することができますように。イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン

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