10月1日 失敗させる心

人の怒りは神の義を実現しないのです。《ヤコブの手紙 一・20》

正しい判断ができなくなり、取り返しのつかないような失敗に落とし込ませるものの原因の一つは、怒りです。怒りは、大きな爆弾と同じです。怒りの心を持ったまま寝てしまうことは、導火線に火がついた爆弾を、そのままにしておくのと同じようなことです。怒りによって正しい判断ができなくなるだけでなく、からだの血管を縮めて水分や栄養がからだのすみずみに行き渡らず、血圧が高くなり、心臓マヒを起こす原因になる、と医者は言っています。

モーセに導かれてカナンの地に向かったイスラエルの民は、何度も荒野で飲み水がなくなり、苦しみました。その度ごとに、民はモーセと神さまをさか恨みし、ぶつぶつと文句を言いました。

エジプトを出て40年が過ぎたある日、民はまたしても飲み水がないとモーセに向かいぶつぶつ文句を言いました。モーセは、いつもの通り天のお父さまにお祈りし、相談しました。主は、「この岩に向かって『水を出せ!』と命じなさい。そうすれば、岩は水を出す《民数記 二十・8》」と、おっしゃいました。けれども、たび重なる民の不平不満に対して我慢できず、怒っていたモーセは、「『逆らう者たちよ。さあ聞け、この岩から、私たちがあなたがたのために、水を出さなければならないのか。』モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った《同 二十・10~11》」のです。モーセは怒った結果、主のご命令に従うことができませんでした。そして彼は、約束の地カナンに入る祝福を失ってしまったのです。

今も、神さまの祝福が豊かに与えられているにもかかわらず、怒りによって、神さまの祝福から除外される人が多くいます。聖書は言います。「人の怒りは神の義を実現しないのです。《ヤコブ 一・20》」 「心で神を敬わない者は怒りを蓄え、神が彼らを縛るときでも、助けを叫び求めない。《ヨブ 三十六・13》」 「愚か者は自分の怒りをすぐ表す。賢い人は辱めを気に留めない。《箴言 十二・16》」 「震えわななけ。罪を犯すな。心の中で語り、床(とこ)の上で静まれ。《詩篇 四・4》」 「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。《エペソ四・26》」

心を治めるためには、自分の力では限界があります。荒々しい感情を人間の力で治めるのは、並大抵のことではできません。ですから、私たちは平安を与えてくださる主を信頼しなければなりません。怒りが込みあげる時、「天のお父さま、私の力ではできません。どうか私の心を静まらせてください」と、祈りましょう。

十字架の上ですべてを耐え忍ばれたイエス・キリストを、心の中におられる主を、信仰の目で見上げましょう。主に賛美をささげましょう。賛美は、信仰の告白です。賛美には、苦しみから解放させる力があります。賛美する時、怒りを起こさせた人を赦すことができ、怒りをもって来た環境を、へりくだって受け入れることができるようになります。

私たちは、いろいろなことに怒ってしまいます。けれども、主の平安を頂いて、怒りに打ち勝つことはできます。イエス・キリストは、私たちの救い主です。イエス・キリストにすべてをお任せする時、心に平安を持つことができるのです。

お祈り:愛と平安の天のお父さま、感謝します。私の心に怒りが起こる時、尊いイエスさまの血潮の力で、これを静め、平安をくださいますように。また、主の御名を呼び求めます。聖霊さま、私と家族を、怒りの感情と悪循環から解放してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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