12月24日 平和があるように

いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。《ルカの福音書 二・14》

天地万物、また宇宙を創造されたイエスさまが、人の子となって生まれてくださったことには、天に対し、また地に対し、それぞれに意味があります。

第一に、きょうのみことばに「いと高き所で、栄光が神にあるように」と書かれています。なぜ、神の御子なるイエスさまは、私たち人間と同じように、肉体を持つ必要があったのでしょうか。しかも貧しくなられ、飼葉桶の中でお生まれになったのでしょうか。この飼葉桶は、私たちが想像する木製の飼葉桶ではありません。ユダヤ地方には、洞窟がいくつもあります。その洞窟を、羊飼いたちは使っていました。洞窟の中の岩をくりぬいて、エサを入れるようにしてあります。また、沢山ある洞窟の中には、亡くなった人を布でくるむために使う布が置かれている洞窟もありました。

生まれたばかりのイエスさまが寝かされた飼葉桶とは、死体に布を巻く布が置かれている洞窟の中だったのです。そしてイエスさまは、普通の赤ちゃんがくるまれる布ではなくて、死体をくるむ布にくるまれたのです。このことはとても預言的に意味のある出来事でした。イエスさまは、「死ぬため」に生まれてくださったことを表しているのです。イエスさまの死によって、「栄光が神にある」のです。イエスさまが死なれることが、天の父なる神さまがほめたたえられることになるのです。イエスさまの十字架の死を通して、天の父なる神さまは失われた私たち人類を取り戻すことができるのです。イエスさまが人の子となってお生まれになった目的は、ご自分の血と肉体をいけにえとして神さまにささげ、罪を持つ私たちを贖い、私たちが神の子どもにされるためです。それが父なる神さまのお考えでした。お父さまのお考えに従うことが、栄光を現すことです。イエスさまは死んで、よみがえられたので、父なる神さまの栄光の中に再び入れられました。

第二に、イエスさまの誕生は、平和の便りです。しかし、すべての人に平和があるのではありません。「平和がみこころにかなう人々にある」のです。

今日、すべての人がキリストの平和を体験するのではありません。イエス・キリストを心に信じて思いを変え、私の救い主として認め、尊い十字架の血潮で洗い清められ、聖霊さまによって新しく生まれ、神の子となった人に、平和が約束されているのです。神の子とならない人には、この平和は関係がありません。そして、御心にかなった人には、天の父なる神さまが、今も、一人ひとりの生活に平和を宣言されるのです。私たちをとりまく状況がどうであれ、イエスさまの心に満ちている平安が与えられるのです。更に、私たちには新しい天と地、新しいエルサレム、永遠の都、平和に満ちた御国を受け継ぐことができるのです。この平和は、今、私たちの心(霊魂)に臨み、毎日の生活にも臨み、肉体の健康にも臨みます。このことのために、神の御子イエスさまが、貧しい飼葉桶で誕生してくださったのです。

お祈り:愛と平和に満ちておられる天の父なる神さま、感謝します。平和の主が、いと高き御位を捨てて、低く、貧しく、卑しいこの世にお生まれくださって、ありがとうございます。どうか私と家族に来てください。平和をお与えくださいますよう、お願い申し上げます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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