二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。《マタイの福音書 十八・20》
私たちの人生を暗くし、憂うつにさせる大きな原因は、孤独です。孤独感は、今、自分だけが一人で離れているから感じるものではありません。隣に人がいても、孤独を感じます。
では、なぜ感じるのでしょうか。それは、自分中心に生活しているからです。自分中心に生きている人は、隣人に何かを与えようとするのではなく、しきりに自分だけが受けようとします。隣人の幸せには全く無関心です。人が自分中心に生き、隣人の幸せに無関心になれば、心はますます意地が悪くなり、冷たい人間となってゆきます。このような人は、どこに行っても歓迎されることはありません。それでますます孤独の中に自分を追い込み、結局、自分の人生を破壊してしまうのです。
天の父なる神さまは、人を造られるとき、人が孤独で、一人ぼっちで暮らすようには造られませんでした。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう《創世記 二・18》」と、神さまが仰せられたと書かれています。人は二人集まったとき、初めて人間らしい生活を営むことができます。人間の社会の最小単位は二人です。イエスさまも私たちに、「あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ』《マタイ 六・9》」と教えてくださり、また「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」とも、おっしゃいました。
人が集まって来るから、孤独から解放されるのではありません。孤独を感じるのは、周りに人がいる、いないには関係ありません。孤独は、人の心の奥に潜んでいるものなのです。
けれども、イエスさまの愛のある所には、いつも愛が現れます。愛のある所には、自分中心の生活や、自分だけが受け取ろうとする貪欲は、存在することはできません。愛があるなら、自分中心の生活や、自分だけが受け取ろうとする貪欲は、心の中に潜んでいることはできません。ですから、孤独から解放されるためには、聖霊さまの力によって、私たちの心の中から自己中心を捨て去ることが大事です。自分中心の生活は、毒きのこのように広がり、あなたと隣人の関係を悪くします。それだけでなく、イエスさまが臨在してくださることができません。あなたが本当に孤独から抜け出すことを望んでいるのなら、今この瞬間から、イエス・キリストの愛を実践しましょう。誰かがあなたに、2㎞私と一緒に歩きなさいと言うなら、4㎞一緒に行きましょう。上着を求めるのなら、下着をもあげましょう。もし兄弟が飢え渇いていたなら、飲ませて食べさせましょう。そうするとき、孤独は離れて行き、その場所にイエスさまが臨在してくださるのです。
お祈り:永遠に変わることのない愛なる神さま、感謝します。平和と喜びを与えてくださる神さま、どうか、いつも一緒にいてくださいますように。この世の終わりまで共にいる、と約束してくださったみことばを、私と家族の心に刻み込み、どんな苦難が襲って来ても、孤独感を持たずに、信仰をもって進んで行くことができますように。それぞれがいる場所で、天の父なる神の愛を実践することができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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