4月2日 主はぶどうの木、私は枝です

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。 《ヨハネの福音書 十五・5》

今、神さまが仕事をする代わりに、自分で神さまの働きをする間違いを犯すクリスチャンが多くいます。自分で信仰を生み出し、愛を生み出し、いやしの力を生み出し、問題を解決しようとしています。徹夜しながら叫び求めて祈っても、また一人静かに礼拝室に座って心の中で祈っても、自分でそれらを生み出すことは出来ないのです。確かに知らなければならないことは、人間みずからは何も生み出すことができないということです。霊的なものは、神さまが生み出されます。イエスさまはぶどうの木で、私たちはその枝です。ですから枝である私たちが、ぶどうの木であるイエスさまに結びついている時、枝先に実を結ぶことができるのです。枝がぶどうの木から切られてしまえば、枝だけでは何もすることができません。水分や養分が届かなくなります。ですからイエスさまはおっしゃいます。「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。《ヨハネ 十五・6》」 私たちが自分の力で信仰を造り出すことはできません。愛も祝福も、造り出すことはできません。そして健康も、永遠のいのちも、造り出すことはできません。それは、神さまだけが持っておられる力です。私たちは、それを神さまから頂かなければならない枝なのです。私たちの持っているものは、すべて神さまから頂いたものです。

あなたの口を大きく開けよ。わたしが、それを満たそう《詩篇八十一・10》」と書かれている通り、私たちがすべきことは、イエスさまに期待しながら口を大きく開け、仕事を行なわれる主と、仕事を成し遂げて下さる主を見上げながら、木であるイエスさまから養分と水分を頂き、実を結ぶことです。力ある信仰は、イエスさまから頂くものです。

枝が木に強く結びついている時、真の平安と喜びを受け取ることができます。周囲に嵐が吹いて来ても、大雨が降っても、恐れることはないのです。私たちがイエス・キリストにつながっているからです。問題が襲って来ても、その間題を通して、私たちが神さまの栄光を現わす実が結ぶことが出来ますから、私たちは何も失うことはありません。イエス・キリストの中に留まり続ける人、イエスさまのみことばが心の中に臨んでいる人、その人は神様の御心に従って祈り求めるなら、すべて与えられる偉大な信仰を持っている人です。 お祈り:ぶどうの木であられるイエスさま、感謝します。主の内に留まることによって、多くの実を結べるようにしてください。私は今まで、みことばから養分や水分を得ようとせず、自分の力で養分や水分を得ようとしていました。お赦しください。これからは主を見上げます。私と家族を受け入れてくださり、美しい実を結ぶ枝としてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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