こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。《コリント人への手紙 第一 十三・13》
天の神さまの御手によって造られたすべての物は、生きている動物や植物であっても、いのちのない天と地にある大自然であっても、みな、天の神さまの愛を必要としている存在です。もちろん人間も、根本的に天の神さまの愛を必要としています。愛には、いのちを豊かにさせる力があります。いのちに満ちあふれさせる偉大な力があるのです。
それでは、この愛を私たちは持つことができるのでしょうか。愛について書かれている《コリント人への手紙 第一 十三章4節》にある箇所に、「愛」ということばの代わりに、「私」という言葉を入れて読んでみましょう。
「私は寛容であり」と読んでみましょう。寛容とは、せっかちな性格ではなく、自分自身を抑えて、神さまに服従させる状態を言います。
「私は親切です」と読んでみましよう。聖書では、親切で、柔和な人は、地を相続すると書いてあります。
「私は妬みません」と読んでみましょう。また「私は自慢せず、高慢になりません」とも読んでみましょう。自分自身の足りなさを悔い改める人は、自分を向上させます。
「私は礼儀に反することをしません」と読んでみましよう。このような人は、どこに行っても、誰にでも喜ばれます。
「私は自分の利益を求めません」と読んでください。愛の要素を持っている人は、何よりもまず、神の国とその義とを求めます。
「私は怒りません」と読みましょう。神の義を成し遂げようとする人は、怒ることを慎まなければなりません。
「私は不正を喜ばずに、真理を喜びます」と読みましよう。不正な事を考えない人は、自分を罠から救っているのです。また真理を喜ぶ人は、いつも心に平安があります。
「私はすべてを我慢します」と読んでください。すべてのことを我慢する人は、聖霊さまが働いてくださるのを待っている人です。
「私はすべてを信じます」と読んでください。信仰のある人は、自分を成功させる基礎が約束されています。
「私はすべてに期待します」と読みましょう。明日に期待する人は、必ず成功が与えちれます。
「私はすべてを耐え忍びます」と読みましょう。
このように、心から告白することができる人は、心の中に愛がある人であり、主の信仰によって生きることのできる人です。私の生活がこの愛を実践しているかどうか、よく点検する時、天の父なる神さまから豊かな恵みが注がれるのです。
お祈り:愛の泉であられる天のお父さま、感謝します。愛を行わなかった時が沢山ありました。赦してください。どうか今からは、愛の溢れる人生を歩むことができますように。どうぞ、力と勇気を豊かに注いでください。私たち自身の力では不可能です。どうか聖霊さまの油注ぎをもって、導いてくださいますようにお願い申し上げます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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