あなたがたが早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい。実に主は、愛する者に眠りを与えてくださる。《詩篇 百二十七・2》
私たちは毎日、迷って暮らしています。何の心配もなく生きている人は、誰もいないと言って良いでしょう。ところが、きょうのみことばには、悩みや苦しみによって心に不安を抱えている時であっても、安らぎが与えられ、うけた傷や苦しみをいやして下さる神さまについて、書かれています。ここにある「眠り」とは「安らぎと慰め」を言います。神さまはご自身が愛しておられる者には、「眠り:安らぎと慰め」をお与えになると言われるのです。
では、神さまが愛する人とはどんな人でしょうか。神さまに自分のすべてをささげ、神さまの命令に従順に従ったアブラハムの姿を通して見てみましょう。
神さまはアブラハムに「あなたに男の子を与える《創世記 十二・2、7》」と約束なさいました。アブラハムが75歳の時です。アブラハムが100歳になった時、ようやく待ちに待った息子、イサクが与えられました。およそ十数年が経った或る日のこと、神さまはアブラハムに向かい、「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい《同 二十二・2》」と言われました。アブラハムはさぞかし驚いたことでしょう。このことによって、神さまはアブラハムの信仰をテストしたのです。目の中に入れても痛くないほど愛するひとり子イサクを、全焼のいけにえとしてささげるように命じられたアブラハムの心中は、どんなものだったのでしょうか。しかしアブラハムは、直ぐに神さまの命令に従いました。神さまの命令が与えられた翌日の朝早く、アブラハムはひとり子イサクを連れて、神さまが示されたモリヤの山(今のエルサレム)に向かいました。三日間旅すると、モリヤの山に到着しました。アブラハムはモリヤの山に登り、イサクを縛って祭壇のたきぎの上に置きました。そして手を伸ばして刀を取り、自分のひとり子をほふろうとした時、主の使いが天からアブラハム呼び、言いました。「アブラハム、アブラハム。その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。《同 二十二・12》」このアブラハムの信仰をご覧になった神さまは、いけにえとしてささげるための雄羊を用意して下さいました。そうしてアブラハムは、その場所をアドナイ・イルエと名づけました。今日でも、「【主】の山には備えがある」と言われています《同 二十二・14》。神さまを愛する者のためには、主は備えて下さるのです。
このように、従順と信仰の試練を通して、神さまの山に登ることができた人に、神さまは恵みを与えて下さるのです。その秘訣は、神さまに自分自身のすべてを献げることです。献身することです。
お祈り:平安と慰めを与えて下さる天の父なる神さま、感謝します。私たちは、日々の生活の中で傷つくことが多くあります。その度ごとに、平安と慰めを豊かに与えて下さい。この世が与える慰めはつかの間のものですが、主が下さる慰めは永遠に続くものです。その祝福を日々受け取る者として下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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