4月4日 滅びに向かう人々のために、祈りましょう!

【主】は言われた。「もしソドムで、わたしが正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」《創世記 十八・26》

ソドムとゴモラが罪悪で一杯になった時、神さまはその地を裁くことに決めました。「わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおり、彼らが滅ぼし尽くされるべきかどうかを、見て確かめたい《創世記 十八・21》」と書かれている通りです。ソ ドムとゴモラを裁くことに決めた神さまの御前で、アブラハムは、ソドムとゴモラのためにとりなしの祈りをささげました。その祈りの内容が《創世記 十八・22~33節》に書かれています。

アブラハムの祈りの第一は、神さまの御心を問う祈りでした。アブラハムは、神さまのお考えを聞くことから始めたのです。自分の要求だけを願う祈りことはしませんでした。わがままな要求を諦めるものでした。私たちもアブラハムのように、一方的に自分の願いを求めることから解放されて、神さまのお考えをお聞きし、その御心の中で祈ることを学びましょう。

第二に、アブラハムのとりなしの祈りは、人々の救いのため、切に祈ったものでした。アブラハムの祈りは、義人たちが救われるようにというものでもありましたが、悪とけがれに満ちたソドムとゴモラの町の中に住んでいるすべての人々のための祈りだったのです。「その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか《同 十八・24》」という祈りが、このことを表しています。

第三にアブラハムは、自分の顔を神さまに向け、親しく祈りをささげました。アブラハムがお願いすれば神さまが答えてくださり、神さまが答えられれば、アブラハムがまたお願いをするという祈りでした。祈りがこのようになったのは、アブラハムと神さまとの間に親しい交わりがあったからです。私たちが神さまの御前に進み出るとき、妨げになるものがあるならば、悔い改め、罪とけがれを取り除いて頂きましょう。

第四にアブラハムは、自分をちりや灰のように見なす謙遜な心で祈りをささげました。アブラハムは、神さまの御前で、自分を土のちりや灰のように低くしました。自分を神さまに服従させることで、自分を低くし、謙遜になったのです。

毎日の生活の中で、最も大きな障害物となっているのは、自分自身なのです。私たちは、この事に気づいていません。私は良いことをしている、人に喜ばれる事をしていると言いますが、神さまのお考えを聞いていないのです。どの時代にも、神さまと共に生きようとする義なる群れがあります。私たちは、そのような群れにならなければなりません。キリストを信頼する者が、公平と正義と愛によって生活ができないとき、神さまはその時代に向かい、その地域に向かい、裁きを下されるのです。ですから私たちは、常に目を覚まし、この時代、この地域のため、警鐘を鳴らしながら、明るく健全な思いと、義なる生活を送ることによって、神の国と神の義が、この地域に成し遂げられるように努力しなければなりません。

お祈り :いつも共にいてくださる天のお父さま、感謝します。私たちが、この地域において義なる美しい生活を送れるようにしてください。隣人のために祈りながら、愛を伝える者としてください。私の願いやわがままな思いを捨てて、神さまに真心から仕え、信仰による愛の実を結ぶよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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