この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 《ローマ人への手紙 十二・2》
天のお父さまが、私たちに対して持っておられるご計画は、私たちがイエスさまの姿へと変えられ続けることです。天のお父さまの御心に従って生活する時、聖霊さまは私たちの心の内側にイエスさまの姿を形造ってくださいます。「私は救われた。イエスさまを心にお迎えしている」と言って、心をそのまま放っておいてはいけません。サタンの力、闇の力が絶えず近づいて来ているからです。不安、恐れ、絶望、疑い、劣等感を、サタンは絶えず心の中に毒麦としてまき続けるのです。だから私たちは、心にイエスさまをお迎えしていても、心の中を今までと同じような状態にしていてはいけないのです。心は、サタンが与えるきたなくて、暗い思いに、直ぐに染まってしまいます。そして、心からいろいろな否定的な思い、きたない思い、暗い、破壊的な思いが、ことばとなって出て来てしまいます。そうではなく、イエスさまをお迎えしている心から、聖霊さまの肯定的な思い、きよい思い、希望に満ちた思い、いのちのことばが、あふれ出てくるのです。このことはイエスさまの約束です。
それでは、自分の心からいのちの泉が湧き出すようにするためには、どうすればいいでしょうか。
第一に、いつもイエスさまの十字架の恵みを深く思い巡らすことです。私たちが、イエスさまの十字架の恵みをいつも深く思い巡らす時、その恵みに感謝しているなら、心はサタンの力、サタンの考えに染まりません。
第二に、神さまのみことば、聖書によって、霊的ないのちと霊的な健康を保つことができます。みことばは、私たちの霊と心を養う食べ物です。肉体に食べ物や水が必要なように、霊と心のためにも食べ物が必要です。みことばをいつも読み、読んだみことばを思い巡らす時、霊と心がいのちを得るのです。そうするなら、どのような苦しみの中にあっても、不安に思ったり、動揺したりすることはなくなります。また、みことばは、神の国のニュースです。この世の中で生活していると、絶えず否定的なニュースが、テレビや新聞、インターネットを通して私たちに流れて来ます。その情報を耳にしているうちに、自分も知らない間に心が否定的になり、暗くなります。そして、そのような否定的なことばを口から出し、生活も否定的になります。けれども、私たちが聖書を通して神さまの国のニュースを絶えず聞く時、私たちの心には義と、平安と、喜びが満ちるようになります。積極的な、信仰的な、希望に満ちた、明るい、清い、力に満ちた人生を生きて行くことができます。
第三に、絶えず祈ることによって、神さまと交わることによって、自分の心からいのちの泉が湧き出るようになります。心は鏡のようです。そして、祈りは、心という鏡にあるよごれをぬぐい取る働きをします。毎日生活していると、罪や色々のよごれで心がきたなくなります。そのよごれを祈りによってきれいにする時、清い心を保つことができます。心を聖霊さまのきよい思いで保つためには、祈らなければなりません。祈らなければ、罪と悪がはびこるこの世の中で、神さまの子として、この世の流れに逆らって生活をすることができません。祈る時、罪と妥協しようとする考え、貪欲、利己的な考え、憎しみ、不信仰、疑いの考えが取り除かれます。神の国の考えで心が一杯になります。そして神さまの臨在を感じ、神さまの栄光のために生きて行くようになるのです。祈らずして、心が変えられていくことはありません。祈れば祈るほど、心が変えられ、新しくなり、罪と苦しみに打ち勝ち、価値ある人生を送ることができます。祈りによって、良いものと悪いものを見分けるようになります。祈りによって悪魔に立ち向かって戦い、勝利し、力ある証人になります。ですから、いつも祈る者となりましょう。
お祈り:私たちをいつも新しくしてくださる天のお父さま、感謝します。イエスさまを心にお迎えした者として、天のお父さまを愛し、生きていきたいと思います。この世を愛し、この世の道に進むことがないように助けてください。導いてください。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する道を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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