すると、ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「今日、【主】があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。《列王記 第二 二・3》
《列王記 第二 二章1節~14節》から、弟子のエリシャが師であるエリヤに、聖霊の能力を二倍求めた箇所から、4回に分けて、どのようにしたら私たちも聖霊さまの力に満たされるのか、信仰の4段階について学びます。きょうは2回目の「ベテルの信仰」について学びます。
ギルガルの次に、エリヤはエリシャを連れて、ベテルに行きました。ベテルへは彼らが勝手に来たわけではありません。天のお父さまが、二人をベテルに導かれたのです。なぜでしょうか。聖霊さまの二倍の祝福を頂くためには、「ギルガル」から次の段階の信仰が必要だからです。
「ベテル」とは「神の家」という意味です。アブラハムが、カルデヤのウルを出発してカナンの地に到着すると、まず神のために祭壇を築きました。そこがベテルでした。また、ヤコブが兄のエサウの手を逃れて、母リベカの勧めで、リベカの兄であるラバンの家に行くことになりました。旅の途中、野宿をし、その晩ヤコブは夢を見ました。目が覚めるとヤコブは、「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ《創世記 二十八・17》」と言いました。その場所がベテルです。ですから、アブラハムが神の御前に祭壇を築き、ヤコブが神と約束を結んだ所が、ベテルなのです。
では、私たちにとってのベテルはどこでしょうか。それはカルバリの丘の十字架です。私たちが聖書を読み、神の全能の力と神の恵みを知っていたとしても、信仰の仲間の人たちと一緒に、イエス・キリストの十字架の前に出て行き、兄姉と一緒に、イエス・キリストの血潮によって、天のお父さまとの契約を結ぶ礼拝に加わらなければ、深い恵みの中に入ることはできません。兄姉が定期的に集まり、主に祈り、賛美する場所がベテルとなります。
今日、多くの人が、教会での礼拝会や祈祷会などの集会がある日に、登山をしたり、魚釣りに行ったり、あるいは無教会主義になって一人で礼拝をしたりしています。その人たちは、聖霊さまによって教会が建てられた意味を無視しています。「ベテルの信仰」を理解していないからです。ベテルは、私たちの心の中にあります。私たちは、神の神殿であり、神の聖霊が私たちの中におられる、と聖書に書かれています。ですから私たちは、共に集まって礼拝をささげると同時に、毎日毎日私たちの心の中におられる聖霊さまに頼って、父なる神に礼拝をささげる生活をするようにと招かれています。場所はどこでもよいのです。家でも、学校でも、職場でも良いのです。主に祈り、賛美する日々のディボーションがベテルなのです。
天のお父さまの深い恵みを体験するためには、ギルガル(聖書のみことば)を通り、ベテルに行かなければなりません。共に集まって、イエスさまの十字架の前にひざまずき礼拝をささげるのです。また、毎日聖霊さまに頼って、父なる神さまに礼拝をささげるのです。その時、神さまは恵みを与えてくださいます。
お祈り:私たちのためにいつも良いものを備えてくださり、主の道に導いてくださる天のお父さま、感謝します。私が神の御前に正しく礼拝をささげることができますように。この世の生き方に流されることなく、主と主のみことばを信頼し続ける正しい信仰を持ち、信仰の実を豊かに結ぶように導いてください。聖霊さま、いつも私の心の中にいて、父なる神に礼拝をささげることができるように、導いてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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