12月8日 慰めを与えて下さる聖霊さま

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。《ヨハネの福音書 十四・18》

毎日の生活の中で、私たちは、苦難や問題に囚われ、失望してしまうことがよくあります。そんな時、家族や親しい友人の愛のこもった慰めの言葉は、私たちに新しい勇気と力を与え、もうー度立ち上がることができるようにしてくれるので、私たちは感謝します。けれども、人間の慰めにも限界があります。人間の慰めによっては立ち上がることのできない、泥沼のような所まで落ち込み、まったくの絶望状態に置かれた時、天の父なる神さまだけが、私たちの心を慰めることができるのです。

イエスさまが地上にいらっしゃるとき、十二人の弟子たちを守る保護者となられました。そしてこの地上を去り、天に帰られるときも、弟子たちが孤児のようになるのを願われず、きょうのみことばに書かれているように、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます」と、約束してくださいました。また、何度も慰めのことばを語られました。「そして、わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます《ヨハネ 十四・16》」と言われました。イエスさまは、罪に苦しむ人、病に苦しむ人、悪魔や悪霊に苦しめられ、絶望と悲しみの奴隷となった人々を解放し、慰めてくださいました。

もう一人の慰め主である聖霊さまが、弟子たちの心の中に慰めと励ましを送り、平安で満たしてくださった日以後、弟子たちは、人々から悪口を言われ、鞭打たれ、牢獄につながれ、殺されながらも、彼らの心は悲しみや絶望に囚われることはなくなりました。聖霊さまが彼らの心の中にいてくださり、天からの慰めを与えてくださったからです。ステパノは石で打たれ、殺されるときでも、少しの恐れも、憎しみさえ感じることなく、かえって殺そうとしている人々のために祈ることができたのも、聖霊さまの深い慰めがあったからです。また、パウロとシラスがピリピの町に福音を伝える途中で捕らえられ、何度も鞭で打たれ、牢獄に入れられ、足かせまでかけられるような状態の中でも、神さまを賛美できたのは、彼らの心の中に聖霊さまの慰めが満ちあふれていたからです。パウロは「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです《Ⅱコリント 一・3~5》」と、慰めの神を賛美しています。

今は愛の冷えた時代です。私たちは、常に、傷ついた心を抱いて生きています。大胆に主の御前に進み出て、心の傷をいやして頂きましょう。主は私たちを深く慰め、励まし、希望で満たしてくださり、私たちが隣人を慰めることができるよう、新しい力と希望と喜びをくださいます。

お祈り:慰め主なる聖霊さま、感謝します。私と家族が深く傷つき、悲しみに沈んでいる時、慰めてください。よみがえりの力で満たしてください。この世の物は何物も、私と家族を真に慰めることができません。慰め主、助け主の聖霊さま、いつも慰め、顧みてください。そして私たちに憐人を慰める力を注いでくださいますようお願い申し上げます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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