3月27日 最も価値あるもの、天の御国

あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、……。《エペソ人への手紙 二・1》

私たちは日々の生活の中で、天のお父さまが悲しまれることを行ったり、口で告白したり、心の中で思ったりしています。これが「自分の背き」です。私たちは、罪を持って生まれて来ました。きょうのみことばに書かれているように、私たちは生まれながら「死んでいた者」です。イエスさまを信じるとき、イエスさまは「自分の背きと罪の中に死んでいた」私たちに、永遠のいのちを与えてくださいます。私たちは、死からいのちに移された者なのです。

この新しいいのちの体験は、ひと言で言えば「霊的世界の体験」です。人間が、生まれながらのいのちに属しているときは、目に見える世界に執着して、何を食べようか、何を着ようか、どこに住もうかということだけを求めます。自分が感じることや、考えることで判断し、肉の欲、目の欲、この世で有名になることを目標として生きています。このため人々は、目に見える世界で、自分にとって価値あるものを大切にし、そうでないものは大切に扱いません。

そのような人が、イエスさまを信じ、目に見える世界ではなく、天の御国を追い求め、霊的世界を体験するようになれば、肉の欲、目の欲、この世で有名になることから解放され、天の御国を最も価値あるものと考え始めます。生まれながらのいのちの中に生きる人々は、お金持ちになること、ぜいたくに暮らすこと、有名になることが成功だと考え、そのため昼も夜も働き、努力します。イエスさまのいのちの中に入れられた人は、何が本当の成功なのか、考えが変わります。イエスさまのいのちの中に入れられた人は、世の中の人が成功と考えることに、未練がましくこだわりません。「生きたら伝道、死んだら天国」なのです。この世で長生きし、お金持ちの生活をしても、何の益になるでしょうか。イエスさまのいのちの中に入れられても、お金もちになること、ぜいたくに暮らすこと、有名になることに未練がましくこだわる人がいるとすれば、その人は霊の目の見えていない人です。イエスさまのいのちの中に入れられた人は、天の御国で主から頂く「永遠の報い」を見上げます。

このように、永遠のいのちの中に入れられた人の生活は、価値観と生き方が全く変わります。以前は、おいしい物を食べ、良い服を着、優雅に暮らすことを追い求めていましたが、今は、どうすれば神さまに喜ばれ、神さまの御心を成し遂げられるのかを、最優先に考えながら生きて行きます。

ですからキリスト者は、天の御国を見上げながら、永遠に続く価値ある生活をします。十字架は、神さまの栄光を表すことの出来る生き方です。イエスさまの贖いの恵みは、永遠の恵みです。これが神さまの約束です。人間の約束は、直ぐに変わります。神さまの約束は、永遠に変わることがありません。キリスト者は、聖霊さまによって、天が崩れ、地がなくなっても、目には何の証拠が見えなくても、手に触れるものが何も無くても、耳には何も聞こえなくても、この約束が十字架にあるということを信じて祈るようになるのです。 お祈り:私たちの家庭の主人であられる天の父なる神さま、感謝します。これから、イエスさまのくださった新しいいのちに立って、神さまの御心に従って生きる者になります。この事をはっきりと知り、悪い道から立ち返ることができるよう、助けてください。私と家族がどんなに苦しい中にいても、絶望しないようにしてくださり、十字架の希望を持つようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

3月26日へ   3月28日へ   3月の目次へ    毎朝のマナの目次へ

コメント