9月10日 信仰による務め

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。《マタイの福音書 二十・28》

この国に暮らしている私たちは、生活が保障され、権利が保障されています。同時に、国民としての義務を果たす責任が与えられています。同じように、天の御国の民となった私たちには、天のお父さまから恵みと祝福が与えられています。信仰生活で、力ある実を結ぶようになるためには、何よりもまず、天の御国の民としての信仰の務めを果たす必要があるのです。天の御国の民としての信仰の務めには、どのようなことがあるのでしょうか。

第一に、礼拝会に出る務めがあります。世の中の人々は、それぞれ守り神を持っています。その守り神を拝み、その神々に仕えています。ある人は、人を拝み仕えています。またある人は、金と権力を拝み仕えています。ある人は、科学を拝み仕えています。けれども、イエス・キリストを信じ仕えている人は、いつもイエス・キリストによって、天の父なる神を礼拝するよう、この世から呼び出されたので、主を礼拝することを最優先にすべきなのです。

第二に、きよめられる務めがあります。イエス・キリストを信じ仕える前、私たちは肉の欲、目の欲、暮らしぶりの自慢などにおびき寄せられ、情欲の奴隷となって生活していました。けれども、イエスさまを信じた後は変えられました。なぜなら、私たちは、“死”から“いのち”に移され、“悪魔の子”から“天の父なる神の子”に変えられたからです。ですから、私たちは、神の子にふさわしい生活を送る務め、神さまの御前できよい生活を送る務が与えられているのです。

第三に、みことばを学ぶ務めがあります。みことばは、天の御国の真理を教えてくれます。人生の目的を教えてくれます。人生の価値と人生の方向を教えてくれます。死んだ先に何が待っているのかを、はっきりと教えてくれます。

第四に、祈る務めがあります。祈りとは、天の父なる神さまとの対話です。祈りによって、必要なものを神さまから頂くことができます。またすべてのことについて、感謝をささげ、賛美をささげる務めがあります。

第五に、福音を伝える務めがあります。私たち自身は、人々を主の救いに導くことはできません。聖霊さまが救ってくださいます。私たちには、聖霊さまに満たされる務め、聖霊さまの力によりイエス・キリストを伝える務めが与えられているのです。また私たちには、隣人と天のお父さまに仕える務めがあります。今、社会と家庭に起こっている対立と分裂、憎しみといがみ合いは、お互いに他人を自分に仕えさせようと争うところから始まっています。私たちの主であるイエスさまは、神の姿を捨て、天の御国の栄光を捨て、自分が造った人間に仕えて、救いの道を与えてくださいました。イエスさまの十字架は、仕える者の姿そのものです。家庭は、お互いに仕える模範を示し合う場所でなければなりません。

このように、イエスさまに救って頂いた者として、救われた感謝と喜びを主にささげなければなりません。また、神の子としての務めを実行すべきなのです。そうする時、天のお父さまは、さらに恵みと祝福を注いでくださいます。

お祈り:私と家族の主人でいらっしゃる天のお父さま、感謝します。いつも主を賛美し、十字架の御業を賛美する私と家族とならせてください。どうか恵みだけを求めるのではなく、与えられている務めを果たすことができるように整えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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