だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。《コリント人への手紙 第一 三・14》
すべての人は家を建てる者である、と聖書は言います。ある人は砂の上に家を建て、ある人は岩の上に家を建てています。イエス・キリストによって生きる人は、岩の上に家を建てる人です。岩の上に建てた家は、どんな嵐が襲っても、どんな地震が襲っても、決して倒れません。それと同じように、イエス・キリストだけに頼る人は、どんな苦しみや困難、病や死が襲って来ても、決して打ち負かされることはありません。
けれども、岩の上に家を建てても、材料が木やわらや草なら、火にはひとたまりもありません。硬い材質のもので、しかも岩の上に建てたなら、磐石(ばんじゃく)です。それと同じように、携挙された私たちには、キリストの火によるさばきが臨むみますが、私たちの今の信仰が、木やわらや草のようなどこにでもあるようなものなら、私たちの働きはすべて焼かれてしまいます。自分自身は火の中をくぐるようにして助かりますが、報いは何も残りません。しかし、土台であるイエス・キリストの上に、金や銀や宝石のように、数が少なく、高価なもので家を建てるなら、火によるさばきの日にも耐え、残るのです。その日には、すべての人の働きの真価がためされます。《コリント人への手紙 第一、三章13節》には、そのように書かれています。
「金(きん)で家を建てる」とは、イエス・キリストという王の上に、神さまを愛する心を持ちなさいということです。では、どのようにしたら天のお父さまを愛することができるのでしょうか。
愛にはいくつかの条件があります。
第一に、男性が女性を愛すると、二人はいつも一緒にいるようになります。愛し合う人は、たとえ体は離れていても心はいつも一緒にいるのです。それと同じように、私たちが天の父なる神さまを愛するようになると、コンビニに行っても、学校に行っても、どこに行っても、心の中ではいつも神さまを礼拝し、賛美します。
第二に、愛し合う者同士、互いに相手をほめ合います。宝石を愛する人は、自分の宝石を見せびらかし、人からほめられるようにします。子どもを愛する親は、子どものことを自慢します。また、祖国を愛する人は、どこへ行っても祖国をほめたたえます。同じように、天の父なる神さまを愛する人は、いつ、どこへ行っても神さまをほめたたえます。そして、人々に天の父なる神さまを信頼するように勧め、みことばを伝えるのです。
第三に、愛し合う者は、互いに仕え合います。愛とは、与えることなのです。愛するようになると、自分が持っている物を惜しげなく与えます。また、自分自身も与えます。天の父なる神さまが、私たちを愛してくださった時、まず神の御子イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。ですから、私たちも天の父なる神さまを愛するならば、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、神に仕えるようになるのです。私たちも天の父なる神さまを愛して、黄金の家を建てて、さばきの時に「よくやった」と神さまからおほめのことばを頂ける者となるように、聖霊さまと共に励みましょう。
お祈り:私たちの心をご覧になられる天のお父さま、感謝します。私たちが、みことばという岩の土台の上に信仰の家を建てることができますように。私と家族が神さまを信頼し、神さまの愛で心を一つとすることができますよう祝福してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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