9月20日 エリコの信仰

エリヤは彼に「エリシャ、ここにとどまっていなさい。【主】が私をエリコに遣わされたから」と言った。 《列王記 第二 二・4》

《列王記 第二 二章1節~14節》から、弟子のエリシャが師であるエリヤに、聖霊の能力を二倍求めた箇所から、4回に分けて、どのようにしたら私たちも聖霊さまの力に満たされるのか、信仰の4段階について学びます。きょうは3回目の「エリコの信仰」について学びます。

エリシャは、忍耐と希望を持ってエリヤに従い、ベテルの次にエリコにやって来ました。エリコという場所は、かつてヨシュアが、イスラエルの民を導きカナンの地に入る時、第一番目に戦った場所です。エリコを攻め取ってからでないと、カナンの地に入ることができなかったからです。ヨシュアは神のみことばを信頼し、神に従って、この町を攻め取りました。

「ベテル」で聖霊さまの導きに従って、共に集まって礼拝をささげ、また毎日、心の中におられる聖霊さまを頼って、父なる神に礼拝をささげる生活をします。これがベテルの信仰ですが、もっと深い神さまの恵みの中に入るためには、私たちの目の前にそびえる「エリコ」を攻め取る必要があります。「エリコ」を攻め取ってからでないと、神さまの約束しておられる祝福に入ることができないのです。サタンは、ベテルの信仰を持つ者の心に語りかけます。「教会に通うことだけで充分だ。そのことで満足しなさい。」私たちの人生の目的は、教会に通うことではありません。更に深い信仰の恵みに入って、神さまご自身を体験的に知ることです。

今、私たちにとっての「エリコ」は、どこにあるのでしょうか。「エリコ」は、人によってそれぞれ違いますが、心の中にある「この世」と、「この世のものを愛する思い」です。この2つのものは、私たちの信仰がさらに高められることを妨げます。ある人は、イエスさまを信じて教会に出席しますが、教会以外ではこの世を愛し、信じる前とまったく何も変わらない生活をしています。また、共に集まり礼拝をささげてはいても、「この世の神」であるお金を愛し、什一献金を未だにささげられない人もいます。あるいはまた、この世の欲望を愛し、良くない習慣と行動をやめることができない人もいます。これらが、心の中で高くそびえる「エリコ」となって、神さまの恵みの深さを体験できていないのです。

では、どのようにすれば、この「エリコ」を攻め取ることができるのでしょう。ヨシュアは、神のみことばを100%信頼して、エリコを攻め取りました。同じように私たちも、神のみことばに信頼して、みことばの約束を祈り求める祈りで、それぞれの「エリコ」を攻め取ることができます。一度祈って「エリコ」がくずれないからといって、直ぐ諦めてはいけません。「エリコ」は必ず攻め取ることができます。忍耐をもって、ねばり強く祈りましょう。「エリコ」が大きければ大きい程、私たちが受ける恵みも大きいのです。

さあ今、自分にとって何が「エリコ」なのかを深く考えてみましょう。神さまの深い恵みへの入り口をふさいでいる「悪魔の町」が何であるのかを考えてみましょう。そして忍耐と大胆な祈りによって、自分にとっての「エリコ」を攻め取りましょう。「自分には力がない」と思う人も、大丈夫です。聖霊さまがいらっしゃいます。聖霊さまに助けを求めましょう。聖霊さまは私たちを必ず助けてくださいます。

お祈り:私と家族を力ある御手で守り、導いてくださる天のお父さま、感謝します。自分の「エリコ」を前にして、神さまの全能の力を忘れ、つぶやくような愚かなことをすることがないように守ってください。「エリコ」を崩すことのできる聖霊さまを信頼し、イエスさまに栄光をささげ、賛美することができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

9月19日へ   9月21日へ   9月の目次へ    毎朝のマナの目次へ

コメント