9月29日 幸いな人の結ぶ実

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。《詩篇 一・3》

イギリスの首都ロンドンには、テムズ川という大きな川が流れています。この川岸に裁判所があります。その裁判所の庭に、ぶどうの木が一本ありました。このぶどうの木の結ぶ実は、イギリスで一番おいしいと言われていました。余りにもおいしいので、植物学者たちがやって来て、研究しました。このぶどうの実から種を取って、もっと増やそうとしたのです。けれども、このぶどうの木は、他のぶどうと何ら変わるところがない、普通のぶどうの木でした。研究した結果、他のぶどうの木と違うところが分かりました。この木の根がテムズ川の下にまで伸びて、そこから水分を得ているのでした。このぶどうの木の根は、川底深くに届いていて、日照りが続いて雨が降らなくても、テムズ川から水分を充分吸い取っているので、この木は豊かに育っていたのです。また、栄養分も十分に取ることができたので、イギリスで一番おいしいと言われるようになったのです。

これと同じように、幸いな人も、表面上は他の人と何も変わるところがありません。けれども、考え方や毎日の生活の姿勢が、キリストを土台とし、キリストに結びついているのです。キリストを信頼している信仰の根が、キリストがおられる天の御座にまで伸びているのです。どのようなことが起こっても、苦しみの中にあっても、問題の中にあっても、たとえ国と国が争う戦争が起きても、地震や日照りなどの災いが起こっても、その人の霊魂(たましい)が、キリストによって恵まれているように、すべてのことにおいて健やかで、いのちが豊かに与えられているのです。その人は、隣人に与えはしても、借りるところのない奇跡が起こされます。キリストの栄光を現すようになるのです。

神の御前で幸いな人となるということは、周りの状態や状況に関係なく、何をしても、どこへ行っても、その人自身の生活に祝福がやって来るのです。「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか《ローマ八・31~32》」と、聖書に書かれている通りです。そのように、私たちは幸いな人となって、行くところどこでも天のお父さまの祝福が与えられる驚くばかりの恵みを体験し、周りの人たちにその驚くばかりの恵みを押し流し、神の栄光を現して行きましょう。

お祈り:祝福の源であられる天のお父さま、感謝します。お父さまの恵みによって、実を多く結ぶことができますように。ただ物質的に祝福されるだけでなく、心の姿勢がきよめられ、イエスさまに似る者となり、主の知恵と力によって生活し、神さまの栄光を現す者となりますよう、聖霊さま、助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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