しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。《ヨハネの福音書 十六・13》
毎日の生活で誰の導きも受けずに、自らの知恵と力だけで成功したという人は、誰もいません。
同じ様に、罪人が悔い改め、イエスさまを信じ、新しく生まれ、神の子となり、永遠のいのちを受け、霊的な生活を送るようになった時、自分の力だけでは、到底、成功的な信仰生活を送ることはできません。ですから、天の父なる神さまは、霊的に新しく生まれた子どもを正しく導くために、聖霊さまを送ってくださったのです。この地上で肉体を服のように来て暮している私たちが、霊的に正しい生活を送ることは、決してなまやさしいことではありません。しかし、聖霊さまが来て下さり、私たちを導いてくださるならば、霊的に正しい生活を送ることができます。では、どうすれば、私たちは聖霊さまの導きを豊かに受けることができるのでしょうか。
先ずは、私たちの毎日の生活の主導権が、誰にあるのかをはっきりさせなければなりません。主イエスさまに「私を導いてください」と祈りながら、毎日の生活の主導権を自分が握っているならば、それは間違っています。それは、道案内をしてくれる人に道案内を頼んでおきながら、実際は自分がどの道を進んでいくのかを、自分で選んでいくのと同じことになるのです。今日、多くのクリスチャンが、毎日の生活の問題について、自分の計画をたてた後、「聖霊さま、来てください。私が描いた青写真の通りに行ってください。成功するように導いてください」と祈ります。このような誤った態度のために、多くのクリスチャンが、聖霊さまの導きを受けることができないでいるのです。これはアダムから始まって、私たち人類を縛っていたサタンの惑わしです。自分の意志を優先させる人本主義の考えです。私たちが自分の意志を砕き、神さまの御座の前にひざまずき、自分の霊・魂・肉体、過去・現在・未来を完全にささげなければ、聖霊さまに導きを期待することはできません。私たちが自分を捨て、自分の中に主の臨在があることを願うとき初めて、聖霊さまの導きを受ける事ができるのです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。《ガラテヤ 二・20》」 このパウロの信仰告白が、私たちの告白とならなければなりません。その時、聖霊さまが私たちを占領なさり、私たちを勝利の人生に導いてくださるのです。このような生活の中に、本当の平和と喜びと、確信と希望が現れてくるのです。私たちは、自分の人生の主導権を聖霊さまにお渡しして、「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです《ローマ 八・14》」と書かれているように、すべてを神さまに委ね、素晴らしい主に、忠実に、真実に従うクリスチャンとして生活しましょう。
お祈り:私たちの牧者でいらっしゃる聖書さま、感謝します。私と家族をいこいのみぎわに、緑の牧場に導いてください。義なる道、十字架の道に導いてください。家族をいつも守ってください。あなた様は、敵の前で御恵みの宴(うたげ)を設けてくださいますから感謝します。私たちを時が良くても悪くても、信仰、希望、愛で満たしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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