私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は【主】を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。《ヨナ書 二・7》
きょうのみことばに書かれている預言者ヨナの祈りは、悔い改めと、信仰の祈りです。
先ず、ヨナは、神さまの命令に従わなかったことを悔い改めました。神さまがヨナにお命じになったことは、イスラエルから北東の方角にあるニネベに行きなさい、ということでした。けれどもヨナは、地中海沿岸のタルシシュ(今のスペイン)に向かおうとしました。そして、港町ヨッパに行き、そこからタルシシュ行きの船に乗ったのです。ヨナは、この事をまず悔い改めたのです。ユダヤ人は、悔い改めるとき、神殿の壁に向かって祈りました。けれどもヨナは、この時、天の真の聖所に向かい祈りをささげました。「あなたの聖なる宮に届きました」とヨナは祈り、ヨナの心が神さまに向き直り、彼の思いが神さま中心に変わったのです。これが真の悔い改めです。悔い改めは、心の中の思いと、人生の方向を、完全に神さまに向けることです。今まで自分中心に歩んでいた人が、神さま中心の生活を始める劇的な変化です。悔い改めた人は、絶対に神さまから見捨てられません。もし私たちが病気になり、苦しみや難しい問題に出会ったとしたら、自分自身を顧みなければなりません。心の向きが神さまにではなく、自分中心ではないか、この世に向いていないか、心をさぐって頂かなければなりません。「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい《ヤコブ 五・13》」と書かれている通り、病のいやし、苦しみや難しい問題の解決、祈りの答えを頂きたいのなら、すべては悔い改めから始まるのです。
第二に、ヨナは信仰の祈りをささげました。人間的に見ますとヨナは最も深い絶望の中にいました。彼は深い水の中で、それも魚のはらわたの中にいたのです。それにもかかわらず彼は、「しかし、私の神、【主】よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました《ヨナ 二・6》」と、過去形で祈ったのです。信仰とは、いかなる困難が目の前に立ちはだかったとしても、神さまの約束のみことばを堅く信頼することです。順風満帆なときは、みことばに目をとめないで、状況にばかり目が向きます。ヨナは先ず、自分の悔い改めを神さまが聞き入れてくださることを信じました。そして真心をこめてささげる悔い改めの祈りの後、自分の罪が「赦された」ことを信じたのです。この信仰の確信は聖霊さまがくださるのです。心の中に神さまとの平和を持ったヨナは、再び愛と救いの神さまが、ヨナの命を死の穴から引き上げてくださったと信じることができたのです。神さまが愛をもって応えて下さる、いいえ、もう既に答えて下さったと確信したのです。そして、魚の腹に入って三日目に、陸地に上がる事ができたのです。ヨナの悔い改めと信仰の祈りに答えて下さった神さまが、魚にヨナを腹から吐き出すように命令されたのです。神さまは、今も、私たちの真心からの悔い改めと、信仰の祈りを聞き届けて下さるのです。
お祈り:私たち神の子どもの悔い改めと、信仰を受け入れて下さる天のお父さま、感謝します。きょうは特別に、教会の中高生クラスの友だちのために祈ります。中高生クラスの友だちが、神さまの恵みの中で真の信仰をもって賢く、健康に育ちますように導いてください。義なる道に歩み、悪しき者と一緒に座らず、主を敬い、主に従順することができますよう、聖霊さま、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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