同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。《ヤコブの手紙 二・17》
カペナウムというガリラヤ湖畔の町で、ある日、ローマの百人隊長がイエスさまに願い出ました。中風にかかった自分のしもべを直して欲しいからです。イエスさまは「行って彼を治そう《マタイ 八・7》」と言われました。すると百人隊長は言いました。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。《同 八・8~9》」 イエスさまは百人隊長のことばを聞いて驚かれ、彼の信仰をほめました。そしておっしゃいました。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。《同 八・13》」 すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされました。
私たちはこの話から、大変重要な真理を悟ることができます。神さまのお考えを知るためには、今私に向かって語られている「みことば」を受け入れなければならないのです。神さまの奇跡を体験するためには「みことば」を受け取る必要があるのです。多くの人の信仰が成長しない理由は、「私は神さまのお考えを知った」と言いつつも、自分勝手に進んでいるところにあります。
人は、二つの点で失敗します。第一は、神さまの時を無視して、自分の都合で、自分のスケジュール通りに行っている点です。現在のトルコ共和国の西の地域のアジア地方で福音を宣べ伝えようとしたパウロは、ミシアに来たとき、ビティニアに行こうとしました。ところが、聖霊さまがそれを許しませんでした。パウロは仕方なくトロアスに下り、そこで初めて「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください《使徒 十六・9》」という、現在のギリシヤ共和国のマケドニア人の幻を見て、そこに行ったのです。ですから私たちは、神さまのみこころを知り、その上で更に、神さまの時を待たなければならないのです。神さまは、ご自分のスケジュールをお持ちなのです。
第二は、神さまの「みことば」を受けているのに、疑ったり、勇気がなかったりして、実践できずにいる点です。このような人は、神さまの祝福を受けることができません。「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません《ヤコブ 一・6~7》」と書かれている通りです。私たちが、「みことば」を受けたならば、目には何の証拠が見えなくても、耳には何も聞こえなくても、手には何もさわれるものがなくても、大胆に主の信仰によって、一歩踏み出さなければなりません。
お祈り:全知全能の天の父なる神さま、感謝します。私は神さまのみこころを無視して、自分勝手に生きて来た時がありました。赦してください。これからは、神さまのお考えに従って生きていく私と家族にしてください。キリストを隣人に伝えられるようにしてください。私と家族に、力と健康を下さり、正しく生きて行ける勇気と信仰を与えて下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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