そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。《マルコの福音書 十・52》
人は誰でも、イエス・キリストに出会うと人生が大きく変えられます。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました《Ⅱコリント 五・17》」と書かれている通りです。私たちが新しく造り変えられずに、教会の礼拝に出席し、キリスト教という宗教を持とうすることは、無意味なことです。
きょうのみことばに登場する人は、乞食を仕事としていた目の見えないバルティマイです。彼がイエスさまに会おうとせず、ただイエスさまを尊敬するお方だと考えていただけなら、目の見えないバルティマイは一生乞食のまま過ごしたでしょう。けれども彼は、仕事に使うボロボロの上着を脱ぎ捨て、「イエスさま!イエスさま!」と叫び求めながら近づき、イエスさまに会いにやって来たのです。バルティマイはイエスさまに出会い、目が見えるようになり、新しく生まれ変わりました。
このことは、私たちに何を語っているでしょうか。今、私たちもイエスさまの御前に進み出る時、「上着」を脱ぎ捨てなければならないということです。イエスさまを信頼しない「上着」、イエスさまに従わない「上着」、罪とけがれの「上着」、自分はダメな人間だという劣等感の「上着」、自分に対しても隣人に対しても否定的な思いしか持てない「上着」、呪いのもとにある「上着」、永遠の刑罰に送られてしまうという否定的意織の「上着」を、全部脱ぎ捨てることです。そして、イエスさまの御前に期待をもって、勇気をもって進み出るのです。
罪を犯した最初の人アダムが、代々私たちに受け継がせている財産は、罪の上着です。心がきたない思いで満ちた汚れの上着です。病の上着です。呪いの上着です。永遠の刑罰の上着です。私たちは、イエス・キリストに出会うために、目の見えない乞食のバルティマイのように、よごれた古い上着を全部脱ぎ捨て、イエスさまの所へ走って行きましょう。イエスさまは、罪の代わりに、義を与えて下さいます。憎しみの代わりに愛を与えて下さいます。けがれの代わりに聖さを与えて下さいます。父なる神さまから遠く離れた者でしたが、天のお父さまと和解させて下さいます。聖霊さまとの交わりを与えて下さいます。永遠の刑罰の代わりに永遠のいのちを与えて下さいます。
誰でもイエスさまに出会うならば、霊の目が開かれます。人は何のために生まれ、どこから来て、どこに向かうのかという永遠の価値と目的を見出すようになります。このような変化のない人は、どんなにおいしいものを食べ、良い服を着ても、心はみすぼらしい乞食にすぎません。イエスさまが私たちと会って下さることを、熱心に願い求めましょう。
お祈り:私たちに会って下さる天の父なる神さま、感謝します。私たちはバルティマイのように、世の片すみで罪によって、霊の目が閉じたまま、自分にも失望し、周りの人にも失望し、この社会にも失望して生きて来ました。けれどもイエスさまに会い、永遠の世界を信仰によって見ることのできる、新しい被造物に変えられました。変えられた私たちは、変えられた者にふさわしい生活をすることを願っています。光の子とされましたので、光の中を歩み続けるための力と希望を与えてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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