まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に「ここからあそこに移れ」と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。《マタイの福音書 十七・20》
信仰には2種類あります。人間の信仰と、神さまの信仰です。神さまの信仰は奇跡を生み出す信仰です。人間の信仰は、本能的な信仰、または理性的な信仰です。赤ちゃんは、母親のお乳を吸えば乳が出る、という本能的な信仰を持っています。また、銀行にお金を預ければ、後になって再び返してくれる、という理性的な信仰を人は持っています。本能的な信仰がなければ、赤ちゃんはお腹がへっても母親のお乳を吸おうとしません。お金をどんなに多く持っていても、預けたお金を返してもらえるという理性的な信仰がなければ、銀行に預けません。また、どんなに遠い道であっても、運転手を信じられないなら、バスには乗らないで歩くことになります。このように、本能的な信仰も、理性的な信仰も、私たちが生きる上で絶対的に必要な信仰です。
一方、神さまの信仰はみことばを聞き、みことばを読み、神さまの口から直接語られるみことばを受け取ったときに与えられる信仰です。そのみことばを受け取った後、ひざまずいて主に向かい祈るとき、私たちの考えをはるかに超えて、心の中に与えられるのが神さまの信仰です。この信仰を持つと、生活にいのちの働きが起こります。
では、どのようにすれば、この神さまの信仰を持つことができるでしょうか。人は、神さまの信仰も人間の力で生み出せると考えます。これは実に高慢な考えです。神さまの信仰を得るには、キリストの中で変えられ、悔い改めて心の思いを新たにして頂き、絶えずみことばを読み、絶えず祈らなければなりません。そうやって、遂に神さまの信仰が与えられるのです。その信仰が与えられれば、たとい目には何も見えなくても、耳には何も聞こえなくても、手には何もさわれるものがなくても、昼と夜の区分が明確であるように、神さまの奇跡の働きが起きることを確実に知ることができます。
難しい問題にぶつかる時には、神さまの信仰が必要です。新しい計画を成し遂げるためにも、神さまの信仰が必要です。神さまの信仰が与えられれば、不可能なことはありません。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです《マルコ 九・23》」と書かれている通りです。
毎日の生活の中で、神さまの信仰を頂いて勝利するために、絶えずみことばを読み、祈り、賛美して、武装しなければなりません。神さまの信仰によって与えられた計画は、必ずなるのです。大胆に前進しましょう。
お祈り:力に満ちあふれておられる天の父なる神さま、感謝します。毎日の生活の中で、人間の限界と弱さを感じる時が多くあります。神さまの助けがなければ生きて行くことはできません。どうか私に生きて働く信仰をくださり、苦しみを克服して、神さまに栄光をおささげする生活をさせてください。私と家族が、どのような苦しみの中でも絶望せず、主を見上げるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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