あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。《ヤコブの手紙 一・5》
きょうのみことばは、神さまが私たちにお与えになっている約束です。それは、神さまの知恵をお与えくださるという約束です。ですから、人間の限界にぶつかって絶望する時、この約束のみことばを握り締め、「主よ。知恵を与えてください」と祈り求めましょう。神さまの知恵の前に立ちはだかることのできる問題や困難は、ありません。
それでは、どのようにすれば神さまの知恵を与えて頂けるのでしょうか。
最初にしなければならないことがあります。個人的な貪欲や欲望を捨てることです。貪欲は悪魔から来ます。神さまの御心よりも、自分の思い通り、自分の気のむくまま、自分の考え、自分の計画通りになるように行動することは、貪欲です。貪欲にこり固まった人は、悪魔の知恵に従っている人です。最終的には、死という悲劇を迎えます。
貪欲を捨てたら、その次は、へりくだって、神さまの御心が示されるように待ち望むことです。貪欲が取り除かれると、神さまの知恵を得やすくなります。それはちょうど、よごれを落としたきれいな食器に、おいしい食べ物が盛られるようなものです。
また、神さまと隣人を愛する時、神さまの知恵が与えられます。神さまの知恵は、けがれ、不従順、憎しみがあるところでは、与えられることはありません。主は聖なる方です。愛なる方です。ですから神さまの知恵を得るためには、私たちはきよくなければなりません。神さまの愛を隣人に実行しなければなりません。「しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。《ヤコブ 三・17~18》」と書かれている通りです。
神さまのお考えが示されたなら、自分にとって都合が悪くても、絶対に従うことを決心することです。多くの人が神さまの知恵を得られないのは、自分が得することなら従い、損することならば従わない、という心の姿勢があるからです。神さまの御心を求めることよりも、自分の思う通りになるようにと祈っている人が大勢います。けれども、「主よ、私が生きるのも死ぬのも、成功するのも失敗するのも、豊かになるのも貧しくなるのも、主の御心のままにしてください」と祈りながら、主の御心のために生きるとき、神さまの知恵を得ることができます。
神さまの知恵を得るためには、神さまのみことばを読み、みことばを思い巡らし、祈り、聖霊さまの御声を聞くことは絶対に必要です。キリスト者は毎日祈り、毎日聖書を読みます。そうすれば、神さまの知恵を得ることができます。聖書を読まず、祈らずに、この世のことに心を向けていれば、神さまの知恵は与えられません。神さまは聖なる方です。神さま中心に生きる人、神さま中心の家庭に、神さまは知恵をくださいます。聖書を読み、祈り、聖霊さまに聞き従うことは、神さま中心に生きるために絶対に必要なことです。
お祈り:私たちに知恵をくださる天のお父さま、感謝します。神さまから知恵を頂いて、世の光、地の塩の働きをしながら生きるようにしてくださり、いつも感謝するようにしてください。どのような苦しみに会っても、すべてを働かせて益としてくださる神さまを信じ、忍耐できるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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