9月15日 ダビテの信仰(1)

【主】は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます。《詩篇 二十三・1~3》

聖書は言います。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。《ローマ 十・10》」きょうから3かいにわたり、ダビデが歌った《詩篇 二十三篇》から、ダビデの信仰告白について学びます。

私たちにとって、みことばを心に信じて、みことばを口で告白することが、毎日の生活を変える力の源なのです。「自分の口のことばによって、自分が罠にかかり、自分の口のことばによって、捕らえられた《箴言 六・2》」と聖書に書かれている通りです。蚕(かいこ)が、口から出す糸で自分を入れる繭(まゆ)を作るように、私たちが口から出す言葉で、私たちを覆うのです。口で告白することによって、私たちを取り囲んでいる周りの状況を変えるのです。

ダピデはどのような信仰による告白をして、歩む道を選び、人生を変えて行ったのでしょうか。彼は、「【主】は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」と、信仰による告白をしました。主を羊飼いに、自分を羊にたとえて言いました。

羊飼いには羊を守り、育てる責任があります。羊には羊飼いの命令に従う義務があります。羊飼いが要求すれば、自分の肉や毛皮をささげるのです。このような羊飼いと羊との関係を、ダビデは神と自分の関係にたとえ、「私は乏しいことがありません」と告白したのです。「乏しいことがない」とは、どういう意味なのでしょうか。

第一に、心(霊と魂)が乏しい状態になることはない、という意味です。「主は私を緑の牧場に伏させ」と、ダビデは言いました。「私を緑の牧場に伏させてください」とは言いませんでした。「主は私を緑の牧場に伏させ」てくださるという肯定的な告白を、信仰によって告白しました。羊が緑の牧場に伏せば、思う存分草を食べることができます。心(霊と魂)のための緑の牧場は、どこにあるのでしょうか。イエス・キリストがかかったカルバリの十字架のもとです。

第二に、肉体が乏しい状態になることはない、と言っているのです。ダビデは、「いこいのみぎわに伴われます」と言いました。ここでも彼は、「いこいのみぎわに伴ってください」とは言わず、肯定的、創造的な告白を、信仰によって宣言しています。主は私たちの肉体も回復して下さるのです。

第三に、人生の目的が乏しくなることはない、と言っているのです。「主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます」と、ダビデは告白しました。人生を自分の目的のために生きるのではなく、天の父なる神さまの目的のために生きる、という告白なのです。天のお父さまが私たちの生活の一つひとつに、小さなことにも関わってくださり、私たちを導いてくださるのです。私たちのどんな小さな行動も、天のお父さまのご計画の一部になったのです。本当に価値のある人生を生きることができるのです。

私たちもダビデのように、信仰による告白をして、口から出る告白によって、歩む道を選び取り、私たちの人生を変えて頂き、聖霊さまと共に歩む勝利の生活を送りましょう。

お祈り:私たちの羊飼いである天のお父さま、感謝します。いつも豊かな恵みを私たちに与えてくださり、感謝します。この世は変わっても、羊飼いの天のお父さまの愛と恵みは変わりません。私たちを義の道に、愛の道に導いてください。義なる神、愛なる神、聖霊さまと共に歩みます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

9月14日へ   9月16日へ   9月の目次へ    毎朝のマナの目次へ

コメント