11月27日 いのちの源

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。《詩篇 百二十一・1~2》

毎日の生活で、豊かな祝福を受け取ることは、何よりも先ず、万物の創造主であられる天の父なる神さまを信頼することから来ます。私たちは今、イエスさまを信頼して、この肉体という衣を着て、地上で生活しています。けれども、私たちの本体である霊と魂は、天にあります。このことをはっきりと悟る必要があります。

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる《マタイ 四・4》」と、イエスさまはおっしゃいます。肉体は、日ごとの食べ物で養います。霊と魂は、神さまが私たちに語られることばにより養われるものなのです。父なる神さまは、天地万物を創造なさいました。お父さまは、イエスさまのお名前によってささげる私たちの祈りに答えてくださいます。私たちは、このことを悟らなければなりません。このことをはっきりと悟る時、信仰が豊かに働きます。いかなる困難や問題が押し寄せて来ても、勝利できるのです。ダビデは、父なる神さまの祝福を豊かに受けた人です。彼は奇跡を多く体験しました。ダビデは《詩篇 二十三篇》で「【主】は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」という、主なる神さまを100パーセント信頼する信仰の告白をしました。「私には牧場があって、牧場の収入で生活しています。牧場が私の生活の基盤です、主です」とは言いませんでした。ダビデは、天の父なる神さまが万物の源であり、父なる神さまからだけ祈りの答えが来るということを悟っていたのです。万物の源である父なる神さまが、個人的で、親密な羊飼いであるとダビデは体験的に知っていたのです。また、彼は何度も何度も、神さまの奇跡を体験することができました。

今、イエスさまを信じていても、ダビデのような信仰の告白をする人は多くはいません。ほとんどのクリスチャンが、大きな会社、父母の遺産、あるいは政府の援助が生活を支えていると思っています。それで、自分の財布の中身の多いか少ないかによって、泣いたり笑ったりしています。このような態度は、信仰の源である神さまを正しく認識していない考えから出ています。目には何も見えず、手には何もさわるものがなく、耳には何も聞こえなくても、この世の物に心を奪われることなく、この世の物を信頼しないで、ただ父なる神さまの御力を信じ、主を信頼し、主を待ち望み、主に向かい叫び祈る人は、大きな奇跡を体験するのです。私たちがすべき事は、私たちの肉体を養うのに必要な食べ物も、霊と魂を養うのに必要なみことばも、豊かに与えてくださる天の父なる神さまにすべてをゆだね、神の国とその義とをまず第一に求める生活をすることです。そうすれば、驚くほどの神さまの御恵みが、私たちの生活の中にあふれるのです。

お祈り:今日も私たちをお守りくださる天のお父さま、感謝します。私たちの助けは天の父なる神さまから来ることを告白します。人間と環境を人生の資源として頼りにしていましたが、今こそ天の父なる神さまを偉大なる私個人の羊飼いとして私たちの家庭に迎え入れます。私たちを緑の恵みの牧場、喜びと希望のいこいのみぎわに導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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