【主】が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。【主】が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。《詩 篇 百二十七・1》
人は自分が家を建てた時、周りに垣根や塀をめぐらしたり、壁を作ったりして、家を守ろうとします。
同じように、人は自分の人生、毎日の生活を成功させるために、また自分の毎日の生活を守るために、自分の周りに壁を造ろうとします。その壁とは、「財産」や「名誉」や「社会的地位」という壁です。人は、「財産」や「名誉」や「社会的地位」を得るために、朝早くから夜遅くまで働きます。でも、いくらそのように努力し、働いたとしても、天の父なる神さまを信頼して、主の御翼の陰にかくまって頂かなければ、その壁を得ることはできません。その壁を得られたとしても、主を信頼し、主の中に住まわなければ、それはすぐに崩れ去ってしまうのです。
ただ天の父なる神さまだけが、私たちを守ることができる壁なのです。この壁はどんな風が吹いて来ても、びくともしません。人は家を建てることはできますが、守ることはできません。
私は、自分の人生という家や壁が崩れ去ってしまったため、苦しみの中に置かれたことにより、教会に来た人を沢山見て来ました。彼らは自分の人生という家や壁が堅固な時には、「私の家や壁は特別に頑丈だから、神は必要ない」と威張っていました。しかし、ある日突然、人生という家と壁が崩れ去ってしまったのです。その時になって初めて、人間の力では家も壁も守ることができないことを悟り、神さまの御前に出て来るのです。
また、私たちの肉体という家や壁も、どんなに栄養のある食べ物を食べ、健康管理に気を使ったとしても、わずか70年、80年もすれば崩れてしまいます。私たちは、今の世で生きて行くために与えられている肉体という家を守ることのできるお方を、心に受け入れなければなりません。それだけでなく、このお方は、後に来る世で王となられます。このお方は、後に来る世で、私たちに家を与えて下さいます。このお方は、私たちに与えられた家をも守ることがおできになるのです。このお方はどなたでしょうか。
私たちのため、十字架でその身を裂き、尊い血潮を流して死に、よみがえられたイエス・キリストです。私たちがイエス・キリストを自分の毎日の生活の中にお迎えすれば、主は今の世の家と壁だけでなく、永遠に崩れない天の御国の家と壁までも守ってくださるのです。使徒ヨハネは天の御国の都であるエルサレムの美しさをたとえて、ちょうど「花嫁が花婿のために飾られたようである《黙示録 二十一・2》」と言いました。主イエス・キリストを信じ、主の御心の通りに暮らす人は、この素晴らしい家を所有することができるのです。
お祈り:私と家族を守ってくださる天の父なる神さま、感謝します。この世の多くの人々が「財産」や「権力」や「名誉」を壁として頼っていますが、私と家族は天の父なる神さまの力と導きを信頼し、賛美します。どうか私と家族をお守りください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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