【主】は、彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。彼は「はい、ここにおります」と答えた。《出エジプト記 三・4》
モーセは羊飼いの仕事をしながら、このことを学びました。それは、ミディアンの荒野で、羊のいのちを守りながら、様々な試練を経験する中で、自分の知識や考え、自分の経験や方法が通用しないのです。モーセは、自分中心という人間中心主義から抜け出して行きました。モーセは砕かれたのです。
その日もモーセは羊の群れを追って、神さまの山ホレブにやって来ました。すると、人として地上に生まれる前のイエスさまである主の使いが、モーセに現れました。荒野でよく見かける、たきぎにする小さい柴の木が燃えている、その炎の中に、その主の使いが現れたのです。よく見ると、火で燃えているのに柴は焼け尽きません。不思議に思ったモーセは、「なぜ柴が燃えないのか、あちらに行ってこの大いなる光景を見ることにしよう《出エジプト 三・3》」と言って、見に来ました。すると柴の中から「モーセ、モーセ《同 三・4》」とイエスさまの声が聞こえてきたのです。
他にいくらでも木があるのに、神さまはどうして荒野でよく見かける柴の中からモーセに声をかけられたのでしょうか。それは、神さまが、モーセを柴のように何の使い道もない者のようになさったからです。柴は荒野で意味なく転がっています。モーセもまたそのようにされたのです。また柴の木が燃えていたのに燃え尽きないのは、神さまご自身が、そこに臨在されていることを現しています。イエスさまご自身がモーセに直接現れて下さったのです。主の御声が聞こえて来きました。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。《同 三・5》」
「靴を脱ぐ」ことには、深い意味があります。イスラエルでは、法廷で靴を脱いで裁判官に投げれば、自分の所有権を捨てることを意味しています。ですから、神さまが「靴を脱ぎなさい」とおっしゃったのは、「あなたが四十年間、粘り強く固持して来た自己中心に生きようとする「我:プライド」をわたしが砕いたから、今からはあなたの所有権を捨てて、わたしに降参して生きなさい」という意味です。四十年前のモーセだったら、その命令に絶対に服従しなかったでしょう。しかし砕かれたモーセは、ためらわずに靴を脱ぎました。モーセは、神さまにすべてを委ねたのです。神さまは、モーセの人生を全面的に取り扱われ、責任を持って下さいます。今からは、モーセと共に神さまがおられるようになりました。砕かれたモーセは、神さまに出会いました。柴のように何の使い道もない者のようにされたモーセの人生に、神さまの力が臨み始めたのです。
自分自身に幻滅し、絶望し、落胆する時、人の方法や手段に行き詰まる時、神さまは私たちに「靴を脱ぎなさい」と言われるのです。その時、私たちが「財産という名の靴」、「名誉という名の靴」、「地位という名の靴」、「プライドという名の靴」等を脱ぎ捨て、神さまのみことばに従順するとき、神さまは私たちに偉大な御力を現して下さいます。
お祈り:私たち一人ひとりに、御心と御計画を持っておられる天の父なる神さま、感謝します。イエスさまの御名を賛美します。私たちが、どのような時も神さまのみことばに堅く立ち、約束を堅く信じ、神さまに従順することができますよう、聖霊さま、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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