島々はわたしを待ち望み、わたしの腕に期待をかける。《イザヤ書 五十一・5》
厳しい試練に直面する時、クリスチャンには、この地上に何一つ信頼出来るものがないことが分かる。それゆえ、ただ神にのみ自らの身を委ねざるを得ない。クリスチャンは、船が波に弄ばれデッキが殆ど垂直に傾くかのような危険に直面することがある。そこには、人の助けは全く及ばない。クリスチャンには、単純かつ全面的に、神の摂理と守りに自らを委ねる以外、他に方法はない。神こそ救いの岩である。そのように、魂が救いの岩の上で打ち砕かれる試練という嵐は、実に喜ばしいものである。その試練により、魂を神に委ね、神にのみ信頼するよう導かれる人は、何と幸いなことだろうか。
友人が多すぎるため、神に近づけない人がいる。しかし、余りにも貧しく、頼るべき友もなく、他に頼るべきところが何もないほど無力な人は、御父の御腕の中に飛び込み、御腕に依り頼むことが出来る。そして御父の御胸の中に抱かれ、そこに幸いを見い出すのである。余りにも重苦しく、特別な苦難を背負っているため、神のほかに誰にも打ち明けることが出来ない人がいる。その人は、却ってその苦難を神に感謝するであろう。そのような時にこそ、主について深く学ぶからである。
嵐に打ち砕かれている信仰者よ。苦難は、あなたを御父のもとへと導くことになる。それゆえ、それは幸いな苦難なのである。今あなたには、神のほかに頼るべきものは何もない。それゆえ、神に全幅の信頼を置くように努めなさい。あなたの主を、全く価値のない疑いや恐れによって、辱めることがあってはならない。信仰に堅く立って、神に栄光を帰しなさい。
この世の人にとって、この世界は大いに価値がある。しかし、この世界が幾万あったとしても、信仰者であるあなたにとって、神はそれ以上の価値があることをこの世界に示しなさい。裕福な人にとって、お金は大いに価値がある。しかし、主なる神が、信仰者であるあなたの助け主である限り、貧困の中にあってもどれほど豊かであるかを、裕福な者たちに示しなさい。力を持つ人は、強いことに価値を置く。しかし、信仰者であるあなたの下には、永遠の腕がある。それゆえ、あなたが弱い時にこそ強いことを、この世で力を持つ者たちに示しなさい。
今こそ、信念を貫き、勇気をもって行動する時である。強くあれ、雄々しくあれ。主である神は、天地を創造されたように、必ずあなたの弱さの内にご自身の栄光を現し、あなたが通っている苦難の内に、ご自身の力を示される。天の青空が目に見える一本の柱で支えられていたなら、天の荘厳さは損なわれる。同様に、あなたの信仰も、肉眼で見えるものに頼っていたなら、その栄光を失うのである。
この月の晦日、どうか聖霊があなたに、イエスにある安息を与えてくださいますように。
注:「摂理」とは、神が介入してくださり、神の目的や計画に向かって、不思議な方法で人が導かれることを指す。
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